Loading AI tools
ウィキペディアから
ウォリングフォード(英: Wallingford)は、アメリカ合衆国コネチカット州のニューヘイブン郡にある町。人口は4万4017人(2022年推計)。町の都市化された中心部は、ウォリングフォード・センターという国勢調査指定地域(CDP)である。ウォリングフォードの公式木はマメナシの木である。
ウォリングフォード | |
---|---|
町 | |
Wallingford | |
標語: "偉大なニューイングランドの町"[1] | |
ニューヘイブン郡内の位置 | |
北緯41度27分23秒 西経72度48分15秒 | |
国 | アメリカ合衆国 |
州 | コネチカット州 |
郡 | ニューヘイブン郡 |
ニューイングランド市町地域 | ニューヘイブン |
地域 | 南中地域 |
設立 | 1670年 |
政府 | |
• 種別 | 町長・市政委員会方式 |
• 町長 | ウィリアム・W・ディキンソン・ジュニア |
面積 | |
• 合計 | 39.9 mi2 (103.3 km2) |
• 陸地 | 39.0 mi2 (101.1 km2) |
• 水域 | 0.9 mi2 (2.2 km2) |
標高 | 151 ft (46 m) |
人口 (2022年)推計[2] | |
• 合計 | 44,017人 |
• 密度 | 1,100人/mi2 (430人/km2) |
等時帯 | UTC-5 (東部標準時) |
• 夏時間 | UTC-4 (東部夏時間) |
郵便番号 |
06492 |
市外局番 | 203 |
FIPS code | 09-78740 |
GNIS feature ID | 0213522 |
ウェブサイト |
www |
ウォリングフォードは1667年10月10日、コネチカット植民地議会が38人の開拓者とフリーマンに「川の東岸に村を造ること」を承認したときに設立された。クィニピアック川に沿った砂質の平原の上にある丘陵の尾根の「長いハイウェイ」が現在のウォリングフォード町メインストリートである。1670年5月12日、ウォリングフォードの町が法人化され、この時の人口は126人だった。6エーカー (24,000 m2) の区画が設定され、1675年までに今日のメインストリートに沿って40軒の家が並んでいた。1775年、さらに1789年、ジョージ・ワシントンがウォリングフォード町を通った。
1690年代、ウォリングフォードはニューイングランドで起きた魔女裁判騒動の一か所だった。「ウォリングフォードの魔女」と呼ばれたウィニフレッド・キング・ベナムとその娘のウィニフレッドが、魔法を使ったという容疑で3度裁判に掛けられた。この2人は無罪であると証明されたが、ウォリングフォードを去って、ニューヨーク市のスタテン島に行くことを強制された[3]。
19世紀、ウォリングフォードの産業は小さなピューターとブリタニア・ウェアの製造者がかなり集中して発展することになった。19世紀半ばまでに、ロバート・ウォレスが洋白の調合法を取得し、サミュエル・シンプソンと共にR・ウォレス & カンパニーを設立し、それがウォレス・シルバースミスの前身となった。小さな銀とブリタニアの多くの工場が合併して「インターナショナル・シルバー・カンパニー」を結成し、本社は メリデン市に、幾つかの工場はウォリングフォードに置いたのがこの時代でもあった。1877年、H・L・ジャッド・マニュファクチャリング社が、サウスチェリー通りに広がる金属器工場施設で、町の中心街下部のほとんど100年間にわたる支配を始めた。長い間には真鍮食器、衣類用金物、第二次世界大戦中の武器のメーカーとして変遷し、1989年、ジャッド広場コンドミニアムと呼ばれる著名な工場を住宅に転換したものとなった。
1871年10月、ニューヨーク・ニューヘイブン・アンド・ハートフォード鉄道のウォリングフォード鉄道駅が完成した。マンサード屋根、飾りのあるブラケット、格子編みの外部角にある隅石で著名であり、鉄道拡大の最盛期だったユリシーズ・グラント大統領政権の時代に建設されたこの種建築物として数少なくなった残っている建物となっている。町は州と連邦政府の助けを得て、1990年代初期に屋根と外観の解体修理を行った。この駅は現在、ニューヘイブン・ハートフォード・スプリングフィールド通勤鉄道線の一部として建て替えが計画されており、現在はアムトラックの「バーモンター」や「ノースイースト・リージョナル」号が走っている。
ウォリングフォードは、ウィンストン・チャーチルの高祖父アーロン・ジェローム(1764年-1802年)、発明家で出版者であり1846年にAP通信を設立することになったモーゼス・イェール・ビーチ(1800年-1868年)、歌手のモートン・ダウニー(1901年-1985年)、保守派トークショー司会者モートン・ダウニー・ジュニア(1932年-2001年)、ジョージア州知事でアメリカ独立宣言署名者でもあったライマン・ホール(1724年-1790年)の出生地である。第一次世界大戦でエース・パイロットだったラオール・ラフベリー(1885年-1918年)は子供時代をウォリングフォードで過ごした。
アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、町域全面積は39.9平方マイル (103.3 km2)であり、このうち陸地39.0平方マイル (101.1 km2)、水域は0.9平方マイル (2.2 km2)で水域率は2.16%である。
ウォリングフォードの町はニューヘイブン郡北部のクィニピアック川に跨っている。メリデンの南5マイル (8 km)、ニューヘイブンの北約13マイル (21 km) に位置している。ハートフォード・ニューヘイブン・スプリングフィールド回廊に属し、アメリカ国道5号線、州間高速道路91号線、コネチカット州道15号線(ウィルバー・クロス・パークウェイ)、州道68号線、同71号線、同150号線が町内を通っている。
アムトラックのウォリングフォード駅はホール・アヴェニュー37にある[4]。
アムトラックのウォリングフォード駅に停車する列車は下記の通り。
ウォリングフォードにはチョート・ローズマリー・ホール高等学校があり、その卒業生には、ジョン・F・ケネディ、ジョン・ドス・パソス、グレン・クローズ、ジェイミー・リー・カーティス、マイケル・ダグラス、ビル・シモンズ、イヴァンカ・トランプ、アドレー・スティーブンソンがいる。
ウォリングフォードは次の町と姉妹都市を結んでいる
ウォリングフォードは、過去10年間でハイテク産業を誘致し、過去の重工業に比べて商業と工業の基盤を多様化してきた。町は独自の発電部門を持っており、電気料金は州の平均に比べてかなり低い。薬品、医療、サービス業、ハイテク特殊品製造など、大変多くの種の製造業や大企業がある。このように工業の集積がありながら、公害発生者も州内で2番目に集中しているという特徴がある。その中にはオールネックスも含まれ、元はアメリカン・サイアナミッド社であり、『沈黙の春』の著者レイチェル・カーソンの信用を落とそうとしたことで名高い。しかし、工業開発の多くは町の中心を外れており、多くは州間高速道路91号線に沿った郊外の新しい工業団地にある。医薬品のブリストル・マイヤーズ スクイブが町で最大の雇用主であり、州間高速道路91号線と州道68号線交差点近くに研究開発施設を設立した。その場所はオフィスビル、ホテル、ハイテク製造施設が高密で集積してもよいように、特殊なインターチェンジ・ゾーンにしてある。しかし、ウォリングフォードの19世紀中心街ショッピング街(南北メインストリート、センター通り、ホール・アベニュー、クィニピアック・アベニュー、およびコロニー道路の隣接部)がその歴史的な性格を残すために苦闘している。2014年ウォリングフォードの民主的女性の草の根運動であるアップ・ウィズ・ダウンタウン・ウォリングフォードが結成され、その再活性化を進めている。
ビバリー・ドノフリオの回想録に基づくペニー・マーシャルの2001年の映画『サンキュー、ボーイズ』には、舞台設定にウォリングフォードが入っているが、撮影は行われなかった。ドリュー・バリモアが演じた主人公はその故郷を去ることに熱心な少女として描かれている。ウォリングフォード住人のA・D・カルボが『The Other Side of the Tracks』を書き、映画監督として処女作を制作した。その舞台はほとんどウォリングフォードである。この映画で町長のウィリアム・ディキンソンがバーテンダーとしてカメオ出演している。この映画に登場するウォリングフォードの場所は、トラックサイド・ピザ。ジェクスバー、チョート・ローズマリー・ホール学校、さらに町の東側にある1841年建設の農家である。2009年12月、カルボは第2作『The Melancholy Fantastic』をウォリングフォードで制作した。撮影された場所は、サラスコーナーの店、北メインストリート、チェシャー道路近くの原っぱだった。2012年4月、カルボは4作目の『The Midnight Game』をウォリングフォードで制作した。撮影された場所は、町の図書館と歴史あるサミュエル・シンプソン邸だった。
ケン・マッケルロイの死についての独立系映画『Without Mercy』のシーンはウォリングフォードで撮影されたが、舞台設定はミズーリ州スキッドモア市だった。ウォリングフォードで生まれ育ったラルフ・サーバーが、脚本、制作、監督を担当した映画で、ニューヨーク国際映画祭の最優秀映画大陪審賞を獲得した。その風景として、町のトウモロコシ畑がミズーリ州スキッドモアに似せて使われ、他にサラのちっぽけな店も使われた。
ディスニーの映画『ロード・トリップ パパは誰にも止められない!』は、カレッジの1つとしてチョートのポール・メロン・アーツ・センターを使っている。
テレビ番組『ギルモア・ガールズ』の架空の町スターズ・ホローの郵便番号は06492であり、ウォリングフォードと同じである。
以下は2000年の国勢調査による人口統計データである[8]。
基礎データ
人種別人口構成
|
年齢別人口構成
世帯と家族(対世帯数)
|
収入収入と家計 |
ウォリングフォードは、コネチカット州の169市町の中で、人口では第23位であり、2001年均等化正味課税グランドリストでは3,723,201,280ドルで第21位、2002年推計一人当たり平均年収は29,788ドルで第97位だった。
1943年から1944年、野球のボストン・ブレーブスがウォリングフォードのチョート冬季練習ビルで春季トレーニングを行った[10]。
ウォリングフォードの建物と地区合計10か所がアメリカ合衆国国家歴史登録財に指定されている[13]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.