ウィージー
ウィキペディアから
ウィージー(Weegee, 本名: アシェル・フェリグ(ウシェル・フェリグ), イディッシュ語: אָשֵׁר ה. פֿעל(ל)יג, ヘブライ語: אָשֵׁר פליג, 英語: Us(c)her (As(c)her) H. Fellig、のち、アーサー・フェリグ英語: Arthur H. Fellig, 1899年 – 1968年)は、アメリカの写真家。ユダヤ系。
![]() |



来歴
ウクライナ(当時のオーストリア・レンベルク)で生まれ、1910年にニューヨークに渡った。渡米に際して改名される。
戦前から活躍し、1940年代には写真家としてのステイタスを確立した。意図的に、残酷なシーン(死体や流血シーンなど)やスキャンダラスなシーン、および、それに群がる人々などを撮影した。その作品は、芸術写真とも報道写真とも一線を画す作品群である。
倉石信乃によれば、次のように評価されている。
- 血なまぐさい事件や暴力を直視するウィージーの写真はセンセーショナリズムと結びつくが、ウィージーの主題はそれだけにとどまらない。(中略)その表現もまた、辛辣(しんらつ)な批評意識と温かいヒューマニズム、残酷さと優しさをあわせもつ。(Yahoo!百科事典 - ウェイバックマシンより)
1950年代には写真から離れた。
「ウィージー」という名前は、写真撮影の対象となるような事件の場面に誰よりも先んじていち早く駆けつけることができる、すなわちそういう事件をかぎつける霊感のようなものが強いということから、「ウィジャボード」の「ウィジャ(Ouija)」から取られたともいわれる。
なお、ミドルネームの「H」が何を省略したイニシャルであるかを示した文献は、今のところ存在しない。
主要な作品集
- 裸の街(原題:Naked City)1945年
ウィージーを題材にした作品
- 『裏偉人伝:時代の反逆者たち「伝説の犯罪写真家」』 - ナショナルジオグラフィックチャンネルで放送されたドキュメンタリー番組。
外部リンク
![]() |
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.