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イースト・アングリア王国
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イースト・アングリア王国(イースト・アングリアおうこく、英:The Kingdom of the East Angles または The Kingdom of East Anglia; アングル語:Ēast Engla Rīce; 羅:Regnum Orientalium Anglorum)とは、かつてイングランドの七王国時代に存在したアングル人を中心とする王国である。
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歴史
6世紀におけるアングル人およびサクソン人によるブリテン島進出に伴い建国され、今日のノーフォークとサフォークおよびその周辺を支配した。7世紀から8世紀半ばにかけてウッフィンガス家(Wuffingas)の支配の下に一定の勢力を維持したが、794年以降はマーシア王国に従属して国勢は衰え、869年にデーン人に征服されるとデーンロウに組み込まれた。918年にアルフレッド大王の子のウェセックス王エドワードに再度征服されてイングランドの一部となり、イースト・アングリア王国は歴史の表舞台から姿を消した。
系図
要約
視点
ウッフィンガス家
数字は在位年。
ウェッハ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ウッファ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ティティラ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
レドワルド 593-623 (ブレトワルダ) | エニ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
エアルプワルド 623-628 | シゲベルト 631-634 | アンナ 635-654 | エゼルヘレ 654-655 | エゼルワルド 655-664 | エゼルリック | ヘレスウィズ (ノーサンブリア王族) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
サクスブルフ =ケント王エオチェンベルト | エセルスリス =ノーサンブリア王エグフリッド | エアルドウルフ 664-713 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
エルフワルド 713-749 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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参考文献
- 桜井俊彰 『イングランド王国前史 アングロサクソン七王国物語』 吉川弘文館、2010年
- 下津清太郎 編 『世界帝王系図集 増補版』 近藤出版社、1982年
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