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イヴァン・ニキーチチ・ロマノフ(Иван Никитич Романов / Ivan Nikitich Romanov, 1560年代 - 1640年7月16日)は、ニキータ・ユーリエフ=ザハーリンの息子の一人で、母はその2番目の妻である公女エウドキヤ・アレクサンドロヴナ・ゴルバチヤ=シュイスカヤ。フョードル・ロマノフの異母弟、ツァーリとなったミハイルの叔父にあたる。
1605年に大貴族(ボヤーレ)身分に叙せられ、1613年のツァーリ選出のために開かれた全国会議でもツァーリ候補者の一人に挙がった。コサックたちが甥のミハイルを支持すると、彼らに向かって「ミハイル・フョードロヴィチはまだ幼く、分別も備わってない」と言ったと伝えられる。そのためか、ミハイル選出後にイヴァンが官職に与ることはなかった。
公女ウリヤナ・フョードロヴナ・リトヴィノヴァ=マサラスカヤと結婚し、6人の子女をもうけた。
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