イルヨ・カイセ

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イルヨ・カイセ

イルヨ・カイセ(Iljo Keisse、1982年12月21日 - )は、ベルギーヘント出身の自転車競技選手。6日間レースを中心とするトラックレースを主体に活動している。

概要 イルヨ・カイセIljo Keisse, 基本情報 ...
イルヨ・カイセ
Iljo Keisse
Keisse at the 2011 Six Days of Grenoble
基本情報
愛称 Jolly Jumper
生年月日 (1982-12-21) 1982年12月21日(42歳)
国籍 ベルギー
出身地 オースト=フランデレン州ヘント
身長 183cm
体重 72kg
選手情報
所属 引退
分野 トラックレース & ロードレース
アマチュア経歴
2004 Jong Vlaanderen 2016
プロ経歴
2005-2008 ショコラード・ジャック
2009 ジョン・サーイ-デシャフト-ヒュンダイ
2010-2022 クイックステップ
主要レース勝利
6日間レース 通算16勝
獲得メダル
ベルギー
男子 自転車競技
世界選手権自転車競技大会
2007 マジョルカ島ポイントレース
2005 ロサンゼルスマディソン
最終更新日
2017年1月11日
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なお、「-ljo」の部分を「リョ」、「Kei-」の部分を「ケイ」と表記し、イリョ・ケイセとする自転車競技Webも少なくない。

経歴

プロ転向以前より、マディソンポイントレーススクラッチといった長距離系トラック種目を主体にレースキャリアを積んでおり、2004年より6日間レースに参加。同レースの初優勝は、当時チームメイトであったマシュー・ギルモアと組んだ、2005年フィオレンツオーラ・ダルダであった。

2011年2月7日現在、6日間レースで13勝を挙げ、同レースではトップスターに上り詰めている。内、出身地で行われるヘント6日間レースでは、初参加の2005年に加え、2007年、2008も優勝と抜群の実績を誇る。レース途中打ち切りとなった2006年の大会も途中までトップだった。ギルモアの引退後は、主にドイツロベルト・バルトコとコンビを組んでおり、国別対抗戦となるオリンピック世界自転車選手権、国内選手権では、チームメイトである、ケニー・デケテルと組んでマディソンを戦うケースが多い。

2008年12月9日、ヘント6日間レース最終日に採取されたAサンプルに、ドーピング陽性反応が出たことから、所属チームであるトップスポート・フラーンデレンより、以降のレースの出場停止処分を受けた。その後、Bサンプルでも陽性反応が出たことから、トップスポート・フラーンデレンを解雇された。ドーピング理由は、カチンとマスキング剤によるもの[1]。のちにドーピング使用疑惑の一連の告発は証拠不十分としてベルギー自転車競技連盟によって取り下げられた[2]

2010年クイックステップに移籍。同年7月7日、スポーツ仲裁裁判所(CAS)は、2011年8月6日までの出場停止処分を下した[3]。その後、CASの裁定に不服としてブリュッセル裁判所に異議申し立てを行い、またUCIの解釈では、ベルギー国内における係争事項であり、国際法の適用にはあたらないとして、同年のヘント6日間レース及び2011年のロッテルダム6日間レースに出場した[4]

6日間レース優勝実績

さらに見る 勝目, 年 ...
勝目開催地パートナー
12005フィオレンツオーラ・ダルダベルギーの旗 マシュー・ギルモア
22005グルノーブルベルギーの旗 マシュー・ギルモア
32005ヘントベルギーの旗 マシュー・ギルモア
42006ハセルトベルギーの旗 マシュー・ギルモア
52007ロッテルダムドイツの旗 ロベルト・バルトコ
62007アムステルダムドイツの旗 ロベルト・バルトコ
72007ヘントドイツの旗 ロベルト・バルトコ
82008ブレーメンドイツの旗 ロベルト・バルトコ
92008シュトゥットガルトドイツの旗 ロベルト・バルトコ、ドイツの旗 ライフ・ランパター
102008ミュンヘンドイツの旗 ロベルト・バルトコ
112008ヘントドイツの旗 ロベルト・バルトコ
122010ロッテルダムオランダの旗 ダニー・スタム
132010ヘントドイツの旗 ペーター・スヘプ
142011グルノーブルフランスの旗 モルガン・クネスキ
152011チューリッヒスイスの旗 フランコ・マルブリ
162012コペンハーゲンデンマークの旗 マーク・ヘスター
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注記

外部リンク

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