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アメリカのヴァイオリニスト (1927-2019) ウィキペディアから
アーロン・ローザンド(Aaron Rosand, 1927年3月15日 - 2019年7月9日[1])はアメリカ合衆国のヴァイオリニスト[2][3][4][5]。
インディアナ州ハモンドに生まれる。父親(アレン・ローゼン:歌手)および母親(イダ・ルービン・ローゼン:ピアニスト)は、それぞれポーランドおよびロシアからの移民であった。3歳の時にベビーシッターの歌う歌を正確に覚えてそれを歌い、音楽の才能を見い出され、[6]移住した先のシカゴで両親により音楽教育を施された。9歳の時にジャン・ピアースのコンサートに賛助出演した後、10歳でフレデリック・ストックの指揮するシカゴ交響楽団とフェリックス・メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を演奏して注目を集め、1940年からシカゴ音楽大学のレオン・サメティーニの下で研鑽を積んだ。1944年にカーティス音楽院に転学してエフレム・ジンバリストに師事し、1948年にニューヨークでデビューを果たした。1958年にはカーネギー・ホールで初リサイタルを開き、1960年にレナード・バーンスタイン指揮のニューヨーク・フィルハーモニックでソロデビューした。演奏活動の傍らで、1981年から母校のカーティス音楽院、1986年からマネス音楽学校のそれぞれで教鞭をとるようになり、ザルツブルクやニースなどの夏期講習の講師や世界各地の国際コンクールの審査員として数多く招聘された。1950年代から1741年製のグァルネリ・デル・ジェス「エクス・コハンスキ」を使用していたが、2009年に77年間の演奏活動から退いたときに1000万ドルでロシアの富豪に売却し、うち150万ドルを母校のカーティス音楽院に寄付した[7]。2019年5月、教職からの引退を発表し、カーティス音楽院から名誉博士号を授与された。2019年7月9日、肺炎により[8]ニューヨーク州で92歳で死去した[9]。
主な門下に、アレクサンダー・カー、ベンジャミン・ボウマン、レイ・チェン、ユーチン・ツェン、リチャード・リン、スティーブン・ワ―ツ、ジェシカ・リンネバック、吉田恭子等がいる。
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