アーディル・アブドゥルマフディー

イラクの政治家 ウィキペディアから

アーディル・アブドゥルマフディー

アーディル・アブドゥルマフディー・アル=ムンタフィキーアラビア語: عادل عبد المهدي المنتفكي, Adil Abdul-Mahdi al-Muntafiki1942年1月1日 - )は、イラクの政治家。副大統領や財務・石油相、首相を歴任した[4]シーア派の有力政党、イラク・イスラム革命最高評議会 (SIIC) に所属していた。

概要 アーディル・アブドゥルマフディーعادل عبد المهدي, 第四共和政第3代 イラク共和国首相 ...
アーディル・アブドゥルマフディー
عادل عبد المهدي
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第四共和政第3代 イラク共和国首相
任期
2018年10月25日  2020年5月7日
大統領バルハム・サリフ
代理官サーミル・ガドバーン
フアード・フセイン
前任者ハイダル・アル=アバーディ
後任者ムスタファ・アル=カーズィミー
イラク共和国内務相
任期
2018年10月25日  2020年5月7日
首相首相兼務
前任者カーシム・アル=アラジー
イラク共和国国防相
就任
2018年10月25日
首相首相兼務
前任者イルファーン・ハヤーリー
イラク共和国石油相
任期
2014年9月8日  2016年7月19日
首相ハイダル・アル=アバーディ
前任者アブドゥルカリーム・ルアイビー
後任者ジャッバール・アッ=ルアイビー
イラク共和国副大統領
任期
2005年4月7日  2011年7月11日
大統領ジャラル・タラバニ
前任者ロウシュ・シャウェイズ
後任者ターリク・アル=ハーシミー
イラク共和国財務相
任期
2004年6月2日  2005年4月6日
首相イヤード・アッラーウィー
前任者カーメル・アル=キーラーニー
後任者アリー・アッラーウィー
個人情報
生誕アーディル・アブドゥルマフディー・アル=ムンタフィキー
(1942-01-01) 1942年1月1日(83歳)
イラクバグダード
政党無所属 (2017年 - )[1]
イラク・イスラム革命最高評議会 (SIIC、1982年 – 2017年)[2]
イラク共産党 (1970年代)[3]
配偶者ラジャ
出身校バグダード大学
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経歴

要約
視点

バグダードに生まれる。父はシーア派の聖職者で、イラク王国の大臣を務めた。イエズス会系の名門高校、バグダード・カレッジを卒業後、エコノミストとなったが、1969年にフランスに亡命。フランスのシンクタンクに勤務するかたわら、フランス語やアラビア語の雑誌を編集した。

1970年代、アブドゥルマフディーはイラク共産党の最高幹部となった[5]。これより先の1967年にイラク共産党は、1958年に成立した軍事政権への姿勢をめぐって、より協調的な中央委員会派と、一切の妥協を拒む中核派とに分裂していた。アブドゥルマフディーは中核派に入り、その勢力が衰える1980年代初めまで活動を続けた。その後はイラン・イスラム思想に影響され、ルーホッラー・ホメイニーがイラン国内で共産主義者やリベラルな反対勢力を一掃すると、イスラム主義者に転向した。中核派内の自らのグループにイラン人を引き入れ、マルクス主義者としての過去を捨て去り、フランスでホメイニの思想を宣伝することに時間を費やした。1982年にテヘランで設立された亡命政党のイラク・イスラム革命最高評議会にも加わった[6]

暫定政権で副大統領を務めていた2006年には、現職のイブラーヒーム・アル=ジャアファリーの対立候補として統一イラク連合 (UIA) から首相に立候補したが、わずか1票差で落選した。その後もアブドゥルマフディーは有力な首相候補とみられていたが、次回の首相選で、UIAが候補に推薦したのはヌーリー・マーリキーであった[7]。アブドゥルマフディーは副大統領に再選され、2011年5月31日まで在任した[8]

2007年2月26日、アブドゥルマフディーは暗殺未遂に遭遇した。アブドゥルマフディー自身は難を逃れたものの、このとき10人が死亡した。これ以前にも、暗殺未遂の対象には2度なったことがある[9]。また、2009年にはボディーガードがバグダードの銀行で強盗傷害事件を起こした[10]

2013年7月には、副大統領としての退職年金を放棄することを表明した[11]

2018年10月2日、大統領のバルハム・サリフから次期首相に指名され、新政権発足まで30日間の猶予を与えられた。10月25日、総選挙から5か月あまり後に、アブドゥルマフディーは首相に就任した[12]

2019年4月にはベルリンドイツ首相のアンゲラ・メルケルと会談し、シーメンス社と共同でイラクの電力インフラを改修する事業に140億ドルを投じる計画を発表した。メルケルも両国の経済・安全保障協力の強化と、イラクの復興への努力をドイツが支援することを約束した[13]

同年10月上旬より反政府デモが発生し、400人以上の死者、1万5000人もの負傷者が出たためアブドゥルマフディーは批判に立たされる。11月29日、同国におけるイスラム教シーア派の最高権威アリー・スィースターニー師が定例の説教で内閣の入れ替えを要求したことを受け、アブドゥルマフディーは首相を辞任する意向を表明[14]。12月1日、イラク議会はアブドゥルマフディーの辞任を承認し、次期首相が選出されるまでは暫定的に首相を務める[15]

2020年5月7日に首相を退任[16]

脚注

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