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コンゴ共和国の政治家、大統領 ウィキペディアから
アルフォンセ・マサンバ=デバ(Alphonse Massemba-Débat、1921年 - 1977年3月25日) は、コンゴ共和国の政治家。同国大統領を務めた。
コンゴ共和国は独立後、フルベール・ユールー政権の下で南部重視・北部の冷遇が続き、政権は腐敗した。これに対し、北部人を主体として反政権デモが拡大し、1963年8月、軍部もユールーを見放して政権は崩壊(コンゴ8月革命)。ユールー辞任後、ユールー政権の元閣僚であるマサンバ=デバが臨時政府の首班となり、大統領に選出された(1963年12月19日)[1]。
マサンバ=デバ政権は穏健な社会主義を掲げ、反フランス・反資本主義路線を採った。共産主義者や左派民兵組織は当初、マサンバ=デバを支える立場にあった。
マサンバ=デバは「革命国民運動(MNR)」を結成し(1964年1月)、一党体制を築いた。しかし、MNRの若年層の一部はキューバ支援により民兵を組織し、過激化した。このことはマサンバ=デバ政権の支持者に亀裂をもたらし、民兵の代表アンブローズ・ヌマザレイ首相(任1966-1968)は大統領との対立を激化させた。マサンバ=デバはヌマザレイを首相から解任し(1968年1月)、左派からの攻撃を受ける一方、軍部のマリアン・ングアビ大尉とも対立を深めて孤立化した[2]。
1968年8月、マサンバ=デバはクーデター容疑でングアビを逮捕するが、逆に兵士の反乱で釈放を強要され、ングアビが実権を掌握した。マサンバ=デバは大統領を辞任した(1968年9月4日)[3]。
ングアビ暗殺事件(1977年3月)の際、マサンバ=デバは暗殺への関与を疑われ、処刑された[4]。
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