Loading AI tools
1970~1980年代に活躍した西ドイツの女性ボーカルグループ ウィキペディアから
アラベスク (Arabesque) は、当時の西ドイツにおいて音楽界の大立物であったウォルフガング・メーヴェス(Wolfgang Mewes)により結成された『女性3人組のボーカルグループ』である。1977年に西ドイツでデビューし翌年1978年4月に日本でデビュー、1985年頃まで活動していた。その後、2006年からオリジナル・メンバーの一人によりArabesque original Michaela Rose として活動が再開されている。
Arabesque | |
---|---|
Arabesque original Michaela Rose | |
基本情報 | |
出身地 | 西ドイツ |
ジャンル |
ユーロ・ポップ ディスコ キャンディー・ポップ (日本) |
活動期間 |
1977年 - 1985年 (日本) 2006年 - 現在 |
レーベル |
EMI→Metronome Records→Monopol Records ビクター音楽産業 |
共同作業者 |
ヴォルフガング・メーヴェス(Wolfgang Mewes) ジーン・フランクフルター (Jean Frankfurter) |
公式サイト | Arabesque original Michaela Rose |
メンバー |
ミシェーラ・ローズ (Michaela Rose) ザビーネ・ケンパー (Sabine Kaemper) ジルケ・ブラウナー (Silke Brauner) |
旧メンバー |
サンドラ・ラウアー Sandra Ann Lauer (1979-1985) ジャスミン・フェッター Jasmin Elizabeth Vetter (1978-1985) メリー・アン Mary Ann Nagel (1977-1978) カレン・アン Karen Ann Tepperis (1977-1978) ハイク・リンボウ Heike Rimbeau (1978-1979) エルケ・ブルクヘイマー Elke Bruckheimer (1979) |
1977年、西ドイツの実業家であるヴォルフガング・メーヴェス(Wolfgang Mewes)は、当時ヨーロッパから世界に向けてヒットを連発していたアバやボニーM、バカラ等に触発され、自ら傘下の音楽出版社でプロジェクトチームを立ち上げ、プロトタイプとして「ハロー・ミスター・モンキー」を制作、初期メンバーによるアラベスクを誕生させた。
1978年、ビクター音楽産業は、「ハロー・ミスター・モンキー」の日本での発売権を獲得しリリース、日本のユーロ・ビート・ブームに乗り大ヒットし、オリコン洋楽シングルチャートで通算3週第1位(総合チャートでは第8位)、実に42週に渡るランクインを記録した。その後も「フライデー・ナイト」「フライ・ハイ」「今夜もロック・ミー」と連続ヒットを飛ばしたが、この間にミシェーラ・ローズ(Michaela Rose)を除くメンバーの脱退や加入が相次いだ。メンバーの変遷は、レコードジャケットやメインボーカルの声質の変化でその違いが分かる。
1979年、メンバーが何度も入れ替わってきた「アラベスク」は、音楽プロデューサーにジーン・フランクフルター(Jean Frankfurter)を迎え、メインボーカルにサンドラ・アン・ラウアー(Sandra Anne Lauer)、ボーカル兼コーラスにオリジナルメンバーのミシェーラ・ローズ(Michaela Rose)、コーラス兼振り付けにジャスミン・エリザベス・フェッター(Jasmin Elisabeth Vetter)というメンバーで活動するに至り、以降、「ペパーミント・ジャック」から日本での最終シングルとなる「恋はナイト・アンド・デイ」までこのメンバーが継続した。この時に加入したサンドラ・アン・ラウアー(Sandra Ann Lauer、愛称は、サンディー)は当時17歳、小顔で手足の長いモデル体型の美少女で、この頃の日本のアイドルにはいないタイプが注目されアラベスクの人気をさらに押し上げた。
アラベスクは、「ハロー・ミスター・モンキー」(Hello Mr. Monkey) の大ヒットを皮切りに、日本をはじめとするアジア諸国や旧ソ連、南米で人気を博した。しかし、興味深いことに、彼女たちの本国である西ドイツではそれほどの人気や知名度を得ることがなかった。西ドイツにおいては、彼女たちの音楽は主流のポップシーンには浸透せず、ヒットチャートでの上位進出もほとんどなかった。理由として、当時のドイツの音楽市場が他のジャンルやアーティストに対する関心が高かったことや、彼女たちの音楽スタイルが国内のリスナーの趣向に必ずしも合致しなかったことが考えられる。このように、アラベスクは本国での成功には恵まれなかったものの、国際的には特に日本での大成功により、1980年代前半の洋楽ポップス・シーンを牽引したグループとして記憶されている。
アラベスクは、1979年11月に日本テレビ(共同制作、読売テレビ)の「11PM 10周年記念特別番組」に招待され初来日(ほぼ極秘来日)し、1981年5月に初の日本公演の為に二度目の来日を果たしている。この日本公演を記念してリリースされたシングル「恋にメリーゴーランド」(In for a penny, In for a pound)はオリコン洋楽部門第1位(総合部門第13位)、初のベスト・アルバム「グレイテスト・ヒッツ」は洋楽部門第1位と総合部門第2位という大ヒットを記録した。また、この来日中には、フジテレビの夜のヒットスタジオやMBS毎日放送のヤングおー!おー! (YOUNG OH! OH!) に生出演し、「ハロー・ミスター・モンキー」や「恋にメリーゴーランド」を披露している。
翌1982年5月4日から5月24日には、全国13都市(北は仙台から南は鹿児島まで)17公演と言う当時の海外アーティストとしては異例の規模でコンサートを開催し、新宿厚生年金会館に於いて公演の模様が収録された。後にNHKで特番として放映されるとともに、唯一のライブ・アルバム「ファンシー・コンサート アラベスク・ライブ イン・ジャパン」 も同年10月にリリースされた。この来日期間中にも夜のヒットスタジオに出演し「キャバレーロに夢中」を披露している。
なお、この時期に前後して、公認のファンクラブ(Arabesque Fan Club Japan)が日本で設立され、会報の発行やノベルティグッズの販売が行われていた。
これらの来日以外では、「アラベスク グレイテスト・ヒッツ DVD」(ビクター独自規格のVHDとして販売され、後にVHSカセットが販売された。DVD化されたのは2002年)に収められている映像の撮影の為に来日している。その際、ドイツのテレビ局が帯同し(本国とは違う)アラベスクの日本での人気についての取材等が行われ、新宿のディスコ"XENON"他で収録を行った。
二度の来日公演の前後がアラベスクの人気のピークだったと考えられる。それまでのディスコブームから始まったユーロ・ビートやキャンディポップといった音楽のトレンドが日本でも変わり始めたからだ。1983年を過ぎるとアルバムのリリース(同年の新譜は、何れも同一アルバムからのシングル・カット)も途絶えたりと人気も徐々に陰りを見せ始めた。さらにメンバーのソロ活動への関心が高まっていて、これがアラベスクの活動に影響を与え、最後は不自然なカタチでの解散となった。
サンドラ・アン・ラウアー(Sandra Ann Lauer)はアラベスクとしての活動停止後、1982年の日本公演やアルバム「キャバレーロに夢中」に参加していた、キーボード奏者でソロアーティスト兼プロデューサーとして活動していたマイケル・クレトゥのプロデュースによりソロ・デビューを果し、数々のヒット曲に恵まれてドイツのみならずヨーロッパを代表する女性シンガーとなった。1988年にはマイケル・クレトゥと結婚、その後1995年から2001年まで子育てで音楽活動を休止、復帰後、ENIGMAのアルバム数作に参加したが、後に離婚している。
一方、ミシェーラ・ローズ(Michaela Rose)とジャスミン・エリザベス・フェッター(Jasmin Elisabeth Vetter)の二人はドイツで「Rouge」(ルージュ)と言うユニットを組み音楽活動を再開した。そして1988年に、「Loving Me Totally」(邦題「恋はノータイム」)で第18回東京音楽祭に出場したが日本では目立った活躍はなく、以降、数年に渡り本国ドイツを中心に音楽活動を行なっていた。
2006年12月、アラベスクのオリジナルメンバーであるミシェーラ・ローズ(Michaela Rose)は、新メンバーのザビーネ・ケンパー(Sabine Kaemper)、ジルケ・ブラウナー(Silke Brauner)の2人と共にモスクワで開催された、第2回「レトロ・FMフェスティバル」にArabesque original Michaela Roseとしてゲスト出演し、アラベスクの往年のヒット曲を披露しカムバックした。その後、世界ツアーやニューアルバムのリリースも噂されたが、アラベスクの往年のヒット曲を再リリースしたが、世界ツアーには至らなかった。現在も少ないながら東欧やロシアの音楽フェスティバルに参加している。
※『In For A Penny』(1981)(独4th、日本盤の『さわやかメイク・ラブ』と『ビリーズ・バーベキュー』からの編集盤。ドイツでは最後のオリジナルアルバム。
※『アラベスク・ファースト』から『ビリーズ・バーベキュー』は後にCD盤が発売されている。
(注)ジャケットの裏にキーボード:マイケル・クレトゥ(後のサンドラの独立を促したとされる人物)の参加が確認できる。
オリジナル・アルバムでは、『ペパーミント・ジャック』 〜Arabesque Ⅱ 〜と『ビリーズ・バーベキュー』 〜Arabesque V〜 が共にオリコン洋楽チャートで第1位(総合チャートでは第2位)を獲得している。 また、『ハイ・ライフ』 〜Arabesque III〜 が洋楽チャートで第1位(総合チャート第9位)を獲得している。
※「6.アラベスク BEST ONE」は、解散後に発売されたベストアルバムや企画盤でタイトルを変えた廉価版も含まれている。DVDの発売は、2008年11月19日だが2009年に期間限定出荷盤(廉価版)が発売されている。なお、現在オンライン販売で入手できるDVDには、韓国盤で日本語のパッケージのものがある。
『アラベスク・グレイテスト・ヒッツ』は、アラベスクのアルバムの中で最も売れたアルバムであり、オリコンで洋楽チャートと総合チャートで共に第1位を獲得すると共に、50万枚を上回る販売実績を誇っている。さらに、当時としてはまだメジャーだったカセット部門でも第1位を獲得しており、販売実績は実に35万本を上回った。
※ 日本でのシングルリリース曲
発売日 | 規格品番 | 面 | タイトル |
---|---|---|---|
1977年12月1日 | VIP-2601 | A | ハロー・ミスター・モンキー
Hello Mr.Monkey |
B | バギーボーイ
Buggy Boy | ||
1978年9月25日 | VIP-2653 | A | フライデイ・ナイト
Friday Night |
B | 貴方を待って
Someone Is Waiting For You | ||
1979年1月25日 | VIP-2695 | A | フライ・ハイ
Fly High Little Butterfly |
B | ギブ・イット・アップ Give It Up | ||
1979年7月5日 | VIP-2753 | A | 今夜もロック・ミー Rock Me After Midnight |
B | ディスコ・フィーバー In The Heat Of The Disco Night | ||
1979年10月25日 | VIP-2783 | A | ペパーミント・ジャック
Peppermint Jack |
B | ルシファーズ・ラバー Lucifer's Lover | ||
1980年2月21日 | VIP-2811 | A | ハイ・ライフ
High Life |
B | ローラー・スター
Roller Star | ||
1980年6月5日 | VIPX-1509 | A | 恋のペントハウス Parties In A Penthouse |
B | ジングル・ジャングル・ジョー Jingle Jangle Joe | ||
1980年10月21日 | VIPX-1539 | A | さわやかメイク・ラブ Make Love Whenever You Can |
B | ひとりぼっちの朝食
I Dont Wanna Have Breakfast With You | ||
1981年2月5日 | VIPX-1559 | A | ミッドナイト・ダンサー
Midnight Dancer |
B | 狼に気をつけて
Keep The Wolf From The Door | ||
1981年5月21日 | VIPX-1572 | A | 恋にメリーゴーランド In For A Penny In For A Pound |
B | 私のナイス・ヒーロー The Hero Of My Life | ||
1981年8月21日 | VIPX-1586 | A | ビリーズ・バーベキュー
Billy's Barbeque |
B | インディオ・ボーイ Indio Boy | ||
1981年11月21日 | VIPX-1600 | A | 幸せのジャックポット Hit The Jackpot |
B | フラッシュ・イン・ザ・パン
A Flash In The Pan | ||
1982年3月21日 | VIPX-1627 | A | キャバレーロに夢中 Caballero |
B | 愛しのストーリー・テラー
Tall Story Teller | ||
1982年7月21日 | VIPX-1651 | A | ヤング・ファースト・ラブ
Young Fingers Get Burnt |
B | ザンジバル
Zanzibar | ||
1982年11月21日 | VIPX-1677 | A | 愛のリプライ
Why No Reply |
B | ディスカバー・ミー Discover Me | ||
1983年 | VIPX-1698 | A | あの愛をもう一 度
Pack It Up |
B | ステュッピッド・ボーイズ
Stupid Boys | ||
1983年 | VIPX-1716 | A | 気分もエアロビック Dance Dance Dance |
B | サンライズ・イン・ユア・アイズ
Sunrise In Your Eyes | ||
1983年 | VIPX-1729 | A | 恋のルーザー
Loser Pays The Piper |
B | 天使と悪魔
Angel Face | ||
1984年2月 | VIPX-1753 | A | ハート・オン・ファイア
Heart On Fire |
B | それならムーヴ・オン You Better Get A Move On | ||
1985年1月 | VIPX-1793 | A | 恋はナイト・アンド・デイ
Time To Say -Good Bye |
B | サンセット・イン・ニューヨーク
Sunset In Newyork |
アラベスクは、日本でリリースしたシングルレコード全20曲のうち実に12曲がオリコン総合チャート50位以内にランクインしていて、デビュー曲「ハロー・ミスター・モンキー」は総合チャートで第8位を獲得している。 洋楽チャートに限っては、デビュー曲から「キャバレーロに夢中」まて連続13曲がTOP10入りをしていて、「ハロー・ミスター・モンキー」「フライデー・ナイト」「恋にメリーゴーランド」が第1位、「ペパーミント・ジャック」「ハイ・ライフ」「ビリーズ・バーベキュー」か第2位、「フライ・ハイ」「恋のペントハウス」か第3位を獲得した。
また、洋楽アーティストセールス部門では、1979年と1980年は第2位(第1位は共にABBA)、1981年は第1位(第2位はノーランズ)を獲得、また、昭和56年度の日本国内ベストセラー(オリコンコンフィデンシャルによる)アーティスト・セールス・ランキングでは、第6位(第5位はオフコース)と、当時ヒットしていたシャネルズや田原俊彦、近藤真彦等の日本のアイドルを上回るセールスを記録していた。
1曲を除き、活動再会後のメンバーで録音されたもので音源も改められている。日本では、Apple Music または YouTube Music で試聴が可能。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.