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アメリカ陸軍軍楽隊(英語: United States Army Band)は、アメリカ陸軍が有する軍楽隊である。1922年、ジョン・パーシング将軍によって設立された。このため、「パーシングの子供たち」(Pershing's Own)の愛称でも知られる。2002年以前、陸軍軍楽隊はワシントンD.C.に所在する軍楽隊のうち、海外戦闘任務に参加した唯一の部隊であった。現在は8つのアンサンブル、すなわちアーミー・コンサート・バンド(The United States Army Concert Band)、アーミー・セレモニアル・バンド(The United States Army Ceremonial Band)、アーミー・コーラス(The Army Chorus)、アーミー・ブルース(The Army Blues)、アーミー・バンド・ダウンレンジ(The Army Band Downrange)、アーミー・ヘラルド・トランペッツ(The Army Herald Trumpets)、アーミー・ストリングス(The Army Strings)、アーミー・ブラス・クインテット(The Army Brass Quintet)により構成されている。
アメリカ陸軍軍楽隊 The United States Army Band | |
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陸軍軍楽隊の肩用袖章 | |
活動期間 | 1922年1月25日 - |
国籍 | アメリカ |
軍種 | アメリカ陸軍 |
基地 | フォート・マイヤー |
渾名 | "Pershing's Own" |
行進曲 | 陸軍は進んで行く(陸軍公式歌) |
ウェブサイト | www.USArmyBand.com |
指揮 | |
現司令官 | アンドリュー・J・エッシュ大佐(Andrew J. Esch) |
識別 | |
Coat of Arms | |
1922年1月25日、当時陸軍参謀総長を務めていたジョン・パーシング大元帥は、第一次世界大戦中の欧州戦線で自らが目にした各国の軍楽隊を模する形で陸軍軍楽隊の設置を命じた。こうして結成された陸軍軍楽隊は同年中にRCAやCBSなどが参加するミューチュアル・ブロードキャスティング・ネットワークを始めとするラジオネットワークで取り上げられた。1928年から1931年までに4度の全国ツアーを行い、また1929年のイベロ・アメリカ博覧会の際にはスペインで演奏し高く評価された。
第二次世界大戦最中の1943年6月には、前線での慰問演奏を行うために北アフリカ戦線および欧州戦線に派遣された。この際、ラインラント方面での貢献を称えられ、陸軍軍楽隊は従軍リボン(campaign streamer)を受章している。同時期には多数の著名な歌手・作曲家などと共演しており、その代表例としては1950年から数年間行われたフリーダム・シングス・コンサート(Freedom Sings concert)がある。これに参加した歌手・作曲家としては、メトロポリタン・オペラのベース歌手ジェローム・ハインズ、作曲家のパウル・ヒンデミットやパーシー・グレインジャー、ピアニストデュオのウィットモア・アンド・ロウ(Whittemore and Lowe)などが知られる。また、著名な歌手が軍楽隊員として所属していたこともある。1950年代、エディ・フィッシャー、ロバート・ディニー(Robert Dini)、スティーブ・ローレンスといった人気歌手、ハープ奏者ロイド・リンドロース、後にメトロポリタン・オペラのテノール歌手となるジョージ・シャーリー、アナウンサーのチャールズ・オスグッドなどが陸軍軍楽隊に勤務していた。
1963年、ジョン・F・ケネディ元大統領の国葬の際、アーリントン国立墓地にて陸軍軍楽隊所属のラッパ手キース・クラーク(Keith Clark)が葬送ラッパ(Taps)の演奏を行った。1970年代中頃、軍楽隊が練習および演奏を行うための施設としてブルッカー・ホール(Brucker Hall)が設置された。また、この時期にはアーミー・ブルース、アーミー・ブラス・クインテット、アーミー・コラール(Army Chorale, 現在のダウンレンジ)、アーミー・ブラス・バンドが常設のアンサンブルとして公的に編成された。重要なイベントにおいて他部隊将兵との区別を明確にするため部隊章(Coat of Arms)や特別の制服等が制定されたのもこの時期である。以後、1971年の昭和天皇およびリチャード・ニクソン大統領のアラスカ訪問、1976年のアメリカ合衆国200年祭、1980年のレークプラシッド冬季オリンピック、イランアメリカ大使館人質事件後の人質の帰国式典、1982年のノックスビル国際博覧会、1984年のロサンゼルス夏季オリンピックなどで演奏を行った。
陸軍軍楽隊はカナダ、日本、オーストラリアなどの外国でも演奏を行ったほか、アメリカ国内の著名なコンサートホール、例えばカーネギー・ホール、ラジオシティ・ミュージックホール、リンカーン・センターのグッゲンハイム・バンドシェル、ハリウッド・ボウル、ハッチ・シェルなどでも演奏を行った。1984年、陸軍軍楽隊はフランシス・フォード・コッポラ監督作品『友よ、風に抱かれて』の撮影に参加し、レコーディングを行った。
1990年から2000年まで軍楽隊長を務めたL・ブライアン・シェルバーン大佐(L. Bryan Shelburne)のもと、1990年にはヒューストンの経済サミット、ニューヨークの「砂漠の嵐」戦勝記念パレード、ナッシュヴィルのリーバ・マッキンタイアのクリスマススペシャルで演奏を行った。シェルバーン大佐はスウェーデン、オランダ、トルコ、ノバスコシア、スコットランドでの演奏を指揮したほか、ストックホルムで催されたソビエト連邦海軍軍楽隊との国際親善コンサートにも参加している。
1997年11月、陸軍軍楽隊は創設75周年を記念した壮大なコンサートをニューヨークのカーネギー・ホールで開催した。ゲストとして、ウォルター・クロンカイト、チャールズ・オスグッド、ロバータ・ピータース、ジョン・クリークなどが招かれた。2000年4月、ゲイリー・F・ラム大佐(Gary F. Lamb)が陸軍軍楽隊に復帰した。
2002年12月、10人組ポップグループであるダウンレンジは、カントリーミュージシャンのダリル・ワーリー、コメディアンのキャシー・グリフィン、女優のカリー・ターナー、プロレスラーのジョン・"ブラッドショー"・レイフィールド、さらにジャクソンビル・ジャガーズ所属のチアリーダー2名らと共にウズベキスタン、クウェート、アフガニスタンを巡った。これは不朽の自由作戦に参加する将兵のために米国慰問協会(USO)が企画したクリスマス前の慰問ツアーの一環だった。1945年以降、陸軍軍楽隊が海外の作戦地域で演奏を行ったのはこれが初めてだった。2003年にイラクの自由作戦が始まると、この慰問ツアーはホープ・アンド・フリーダム(Hope and Freedom)と題して毎年催されるようになり、さらに大規模なアンサンブルが参加し、イラク各地の駐屯地への訪問も行われた。近年のツアーに参加したその他の著名人としては、カントリーシンガーのマーク・ウィリス、コメディアンのアル・フランケン、ワシントン・レッドスキンズ所属のチアリーダーらなどが知られる。
2005年6月、ラム大佐の退役に伴い、トーマス・ロトンジ・ジュニア大佐(Thomas Rotondi, Jr.)が軍楽隊長に任命された。ロトンジ大佐の前職は陸軍士官学校軍楽隊長であった。
陸軍軍楽隊本部はバージニア州アーリントンのフォート・マイヤーに設置されており、毎年1月には陸軍軍楽隊チューバ・ユーフォニウム会議(The United States Army Band Tuba-Euphonium Conference)、3月にはイースタン・トロンボーン・ワークショップを主催している。
4度のラッフル・アンド・フラリッシュに続き、『大統領万歳』。演奏はアーミー・ヘラルド・トランペッツ。
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この記事にはパブリックドメインである、アメリカ合衆国連邦政府が作成した次の文書本文を含む。The United States Army Band Lineage and Honors (16 Aug 2001). アメリカ合衆国陸軍戦史センター. 2023年10月22日閲覧。
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