アッシュル・ニラリ2世
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アッシュル・ニラリ2世(Aššur-nērārī II、maš-šur-ERIM.GABA (=DÁḪ)、「アッシュル神は我が助け」[1])はアッシリアの王。『アッシリア王名表』では第68代の王とされており、在位期間の絶対編年は前1424年頃-前1418年頃、または前1414年頃-前1408年頃という推定があるが、これは古アッシリア時代末期の不確かな編年に依存している。当時の小都市国家アッシュルはミッタニ(ミタンニ)の従属国であり、未だその王サウシュタタルによる略奪からの回復の途上にあった。
アッシュル・ニラリ2世 | |
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アッシリア王 | |
在位 | 前1414年-前1408年 |
子女 | アッシュル・ベル・ニシェシュ |
父親 | エンリル・ナツィル2世 |
彼はアッシリアの前王エンリル・ナツィル2世の息子である。『コルサバド王名表』[i 1](『アッシリア王名表』のバージョンの1つ)によれば彼の治世は7年間である。『アッシリア王名表』の別のバージョンである『SDAS王名表』と『アッシュル王名表』の対応する列の箇所は破損している[2]。アッシュルで発見されたある法律文書[i 2]は「リンム、最高裁判官(upreme judge)アッシュル・ニラリの息子、ベル・ナディン・アヘ(Ber-nādin-aḫḫe)」の日付を帯びており、別の文書[i 3]は証人として「最高裁判官ベル・ナディン・アヘの息子たるイバシ・イル(Ibaši-ilu)の息子、シャマシュ・キディンヌ(Šamaš-kidinnu)」が登場している。この称号と系譜はベル・ナディン・アヘがアッシュル・ニラリ2世の(証明されてはいないが)後継者である可能性を示している。
アッシュル・ニラリ2世の地位は息子のアッシュル・ベル・ニシェシュによって継承された。
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