煉化もち(れんがもち)は北海道江別市野幌のお菓子である。山サ煉化餅本舗株式会社が製造を主に行っており、市内のパーキングエリア等で購入することが可能である。 2019年9月時点では、同年8月の店舗への車事故の影響で、営業日に制限がある。
販売会社 | 山サ煉化餅本舗株式会社 |
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種類 | 菓子 |
販売開始年 | 1901年 |
日本での製造 | 山サ煉化餅本舗 |
完成国 | 日本 |
関係する人物 |
久保兵太郎、佐野利吉 (発案・創業者) 菊田安秀(現代表) |
外部リンク | http://www.rengadou.com/ |
沿革
煉化もちは1901年より、久保兵太郎(久保栄の父)によって発案・佐野利吉により創業されて以来、江別市の銘菓となっている。久保兵太郎は、北海道炭礦鉄道会社の野幌煉瓦工場を経営しており、そこで行われていた煉瓦の製法にヒントを経て「煉瓦餅」を考案した。
その後工場で雑貨商を営む佐野利吉が、この「煉瓦餅」を製造する会社を創業。食べ物であることを考慮し、建材などに使用する「瓦」という文字を変更することとした。そこで、「瓦は食べられないが、瓦が化けると食べることができるだろう」という発想から、「煉化餅」として販売を開始した。1985年に製造元の廃業で一度廃れたが、1993年に新しく「煉化もち」として製造を再開した。
概要
煉化もちは江別のれんがをモチーフに長方形にかたどられた餅であり、中にこしあんが入っている。甘さが抑えられているほか、北海道産の無農薬もち米を使用し、添加物が加えてられていない点が特徴である。
もち米を一度粉末にしてから加工する製法で、十勝産のあずきが主原料である。10個入りと20個入りが販売されており、道央自動車道野幌パーキングエリア等で購入できる。
パッケージは煉瓦づくりを思い起こさせる煙突の絵が描かれている。石川啄木は1908年の「小樽日報」に寄せた「雪中行」にて、「白石厚別を過ぎて次は野幌。睡眠不足で何かしら疲労を覚えて居る身は、名物の煉瓦餅を買ふ気にもなれぬ。」と当時の煉瓦餅について触れている[1]。
参考文献
脚注
外部リンク
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