Remove ads
日本の近世における賎民 ウィキペディアから
かわた(皮田、皮多、革多、川田、革田、河田など様々に書く)とは日本の近世における賎民(被差別民)「穢多(えた)」の別称である。
かわだ の読み方もあるが かわた と同じ。
近世前期では「えた」よりも一般的に使われていた。ただし用例そのものは「エタ」の方が古く鎌倉時代の国語辞典『塵袋』が初出で、これが鎌倉末から南北朝時代にかけて「穢多」という特定の漢字が充てられてくる。[1]
一方「かわた」の初見は永享2年(1430年)11月11日付けの土佐国香美郡の「下人売券」とされる。同文章では端裏書に「かわた四郎」と記されているが、同人が下人を買い受けたということ以外は一切不明である。
その100年ほど後の大永6年(1526年)6月12日付今川氏親朱印状に「かわた彦八」の記載が見え[2]、これによると「かわた」は「皮のやく(役)」に関係する皮革業者であった事がわかる。2年後享禄元年(1528年)10月18日付「今川氏親後室寿桂尼朱印状」によれば「かわた彦八」は急用の時には領国内の皮革を調達すべきであると命ぜられていた[2]。 天文18年(1549年)8月24日には同じく今川氏によって「皮作商売」は八郎右衛門と彦太郎両人の独占とされ、永禄2年(1559年)8月8日には次年度分の皮革として滑皮25枚、熏皮25枚の調達を命ぜられた[2]。
後北条氏の領国・伊豆国でも天文7年(1538年)3月9日、「かわた」21名が「御用之かわ」の上納を命ぜられると共に、他人の被官になったりすることを禁じられ、弘治4年(1558年)2月27日には生皮をふすべる様命ぜられた[3]。
これら戦国時代のかわたは、当時賎職視されつつあった皮革業に従事していたが、まだ賎民身分としてははっきりしていなかった。
戦国時代が終わり、豊臣政権は武士・百姓・町人といった近世的身分を設定しはじめた。太閤検地の際に作成された検地帳に「かわた」の記載が数多く見出され、それらが後の「えた」となった事が判明している。ただし検地帳における肩書きには大工・鍛冶・杣(そま)など明らかに職業名とみられるものがあり、当時のかわたが職業なのか身分なのかについては論争の的である。
しかし次の様なことから豊臣政権の下で「かわた」が身分として規定され始めたとする説が有力である。
以上のことからこの時期のかわたが本村百姓と混住している事例がみられるとしても、豊臣政権の下かわたが身分として規定されはじめていたといえる、なお、太閤検地帳の名請人の肩書きとして「かわた」と記載されているということは当時のかわたが一定の土地を持ち農業に従事していたことの証拠である。他の一般百姓と比較すれば平均持高が若干少ないという傾向はあるが、中には20石前後という高い持高のかわたも認められる。その後かわたは近世を通じて農業と深いかかわりを持ち続け、決して皮革業だけで生活していたのではなく、種々の社会階層の人々も含まれていたのである。
安土桃山時代が終わり江戸時代に入って幕藩体制が確立すると、身分制度も整備されていき、かわた身分の位置づけも明確となっていく。
例えば慶長16年(1611年)4月、金沢藩が死牛の皮剥ぎをかわたに許可し、寛永15年(1638年)、加賀・能登両国における死牛馬の皮はかわたの差配にすると命じていることが見られるように、[5]幕藩勢力はかわたに死牛馬の処理を行わせる事を法制的に規定した。
それと同時にかわたに行刑・警察的任務を負わせる政策を強化した。長州藩では慶長9年(1604年)、山口垣之内のかわたに「郷中見廻役」を命じ[6]、長崎でも承応2年(1653年)の頃には皮製造人に刑の執行をやらせていた[7]。
「慶長播磨国図」(天理図書館蔵)には「かわた」が48か所も、慶長10年(1605年)より少し後のものと推定される「摂津国図」(西宮市立図書館蔵)にも「皮田」「皮多」「川田村」「河原村」「カワラ村」が7か所記載されており、このように少なくとも近畿地方ではかわたが集落として把握され、特定の地域に集住させられていたのである。
幕藩政策は身分としての規定と共に差別政策も強めていった。その一つが呼称転換であり、「かわた」を「穢多」「長吏」と呼び変えている。
まず早期の例に慶長9年(1604年)の「肥後国託摩郡春竹村検地帳に「ゑった」と記されたのがある[8]。
慶長19年(1614年)の大坂冬の陣の諸記録(「当代記」「駿府記」など)にも「ゑつた村」「えた村」がみられる。阿波藩では従来「かわやの者運上」と記されていたのが元和9年(1623年)には「えった役銀」と改められた[9]。
近世初期からの「かわた」称の出現を順に見ていくと以下の様な事が浮かび上がる[1]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.