Yak-9P (航空機)
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Yak-9P(Jak-9P;ヤク9P;ロシア語:Як-9Пヤーク・ヂェーヴャチ・ペー)は、ソ連最後のレシプロ戦闘機のひとつである。ヤコヴレフ設計局が開発し、戦後1946年から生産が始められ、1950年代を通じて多く東側諸国の主力戦闘機となった。
Yak-9Pは、第二次世界大戦中から開発が進められてきたYak-1/7/9/3シリーズの集大成として完成された戦闘機であった。Yak-9Pの外見は大戦中のYak-9Uによく似ているが、そちらが従来機同様の複合素材による機体であったのに対し、Yak-9Pは全金属製であった。エンジンは、戦争初期より研究の進められてきたクリーモフ設計局製のVK-107A液冷エンジンがいよいよ実用化され、能力的限界の見えてきた従来のVK-105シリーズに替えて搭載された。
同じく全金属製でVK-107Aエンジンを搭載したYak-3発展型(制式名称はなく単に「VK-107A付きYak-3」と呼ばれた)が量産中止となったため、Yak-9Pはソ連軍の主力戦闘機として大量に生産された。Yak-9Pの生産は、ロシアおよびウクライナで行われた。
Yak-9Pはシリーズ中総合的に最も高い能力を持った機体であり、仮想敵として考えられていたナチス・ドイツの戦闘機Fw 190DやBf 109G/K、あるいは「最優秀のレシプロ戦闘機」というアメリカ合衆国のP-51D戦闘機などとも十分に渡り合えるだけの性能を有していた。
なお、武装が異なる機体も生産されたが、基本的にはYak-9Pは20 mm ShVAK機関砲 3門を搭載していた。ブルガリアで改修された機体には、これに加えて各主翼内に12.7 mm UBS機関銃を1挺ずつ搭載したものもあった。
Yak-9Pは東欧を中心に輸出・配備されたが、それ以上に朝鮮戦争における働きがよく知られている。同戦争初期において、本機はYak-9M、La-9/11などとともに、中華人民共和国・朝鮮民主主義人民共和国軍側の主力戦闘機となり、国連軍との戦闘に投入された。当時西側にとって「ヤク戦闘機」は東側の戦闘機の代名詞であり、MiG-15が現れた際も初めは「ヤク」であると思われていた。
Yak-9Pは複座型のYak-9Vなどとともに1960年代まで各国で使用された。また、1990年代にはYak-9U/Pの復元機であるYak-9UM(またはYak-9U-Mとも表記)がロシア連邦で少数量産されており、現在でも航空ショーなどで飛行する姿を見ることができる。なお、Yak-9UMはアメリカ合衆国のアリソン製V-1710液冷エンジンを搭載している。
なお、Yak-9Pという名称はこれ以前にVK-105PFエンジン搭載機(試作機、1943年初飛行)に使用されたことがあり、両者を特に区別するために「VK-107A付きYak-9P(Yak-9П с ВК-107А)」、「VK-105PF付きYak-9P(Як-9П s ВК-105ПФ)」などと表記されることがある。こうした区別がされずに単に「Yak-9P」と表記がなされている場合は「VK-107A付き」の方をさしていると考えてよいが、資料によっては両者が混同されている場合も少なからずあり、中には「Yak-9Pは試作に終わった派生型で、Yak-9の戦後型はYak-9Uである」というような記述もあるので注意が必要である。Yak-9Uは大戦中に生産・配備された機体であり、生産機数も中東欧及び中国・北朝鮮各軍に配備するほど多くはない。
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