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日本のお笑いコンビ(2000-) ウィキペディアから
NON STYLE(ノン・スタイル)は、吉本興業に所属する日本のお笑いコンビ。2000年5月結成。『爆笑オンエアバトル』第9代チャンピオン、『M-1グランプリ2008』王者、『日清食品 THE MANZAI 2013』第3位。
石田明(左)と井上裕介(右) | |
メンバー |
石田明 井上裕介 |
結成年 | 2000年 |
事務所 | 吉本興業 |
活動時期 | 2000年 - |
出身 | baseよしもとオーディション |
出会い | 大阪市立大淀中学校 |
現在の活動状況 |
テレビ番組 劇場ライブ など |
芸種 | 漫才、コント |
ネタ作成者 | 石田明 |
現在の代表番組 | 大阪ほんわかテレビ |
過去の代表番組 |
NON STYLEのフリースタイル!! こちらかきくけ公園前 このへん!!トラベラー BS吉テレなど |
同期 |
スーパーマラドーナ 大西ライオン オードリー など |
公式サイト | プロフィール |
受賞歴 | |
2005年 第36回ABCお笑い新人グランプリ 審査員特別賞 2006年 第41回上方漫才大賞 優秀新人賞 2006年 第4回MBS新世代漫才アワード 優勝 2006年 平成18年度NHK新人演芸大賞 演芸部門 大賞 2006年 第26回上方お笑い大賞 審査員特別賞 2007年 爆笑オンエアバトル 第9回チャンピオン大会 チャンピオン 2008年 M-1グランプリ2008 優勝 2010年 S-1バトル グランドチャンピオン |
元々2人は同じ中学・高校に通っていた。井上が「俺が大学落ちたら一緒にNSC行こうや」と言った事もあったが、石田は(父親が板前であったため)板前として就職が決まっており、井上は大学に合格したため進学した。
石田は板前修業をしていた2年の間に、高校時代の友人2人に誘われ「ほりごたつ」というトリオで心斎橋筋2丁目劇場のWachachaブレイクに一度だけ出演した。解散後は「ジャッジメント石田」と名乗り、ピン芸人となる。一方井上は、大学でパンクバンドを組んでいたが解散し、ストリートミュージシャンになろうとしていた。
石田の状況を知った井上による「俺がギターを弾くからお前がベースを弾け、合間に漫才をしよう」という誘いを石田が受諾し、2000年5月14日に「NON STYLE」を結成。結成直後は大阪・梅田駅の近くで路上漫才を行っていたが、地元より少し離れたところの方がいいのではないかとなって、神戸・三宮駅付近で行うようになった。最大で200~300人ほどの人を集め一晩で10万円を山分け出来るほどの人だかりだったという。 ときには徳井義実(チュートリアル)や八木真澄(サバンナ)が2人の漫才を見に来ていたこともあるという。初めて梅田で路上漫才を行った時には酔っ払いの男に漫才について2時間も説教をされ、その男を見返すために漫才だけに絞った。今では漫才の大会で何回も優勝をしているため、井上は「その男の人に感謝をしている」と発言している。
Baseよしもとのオーディションに受かり、2001年1月[1]に吉本興業に所属しプロデビュー(NSC大阪校22期生と同期扱い)。当初は笑い飯の哲夫に面白くないと言われ、何かと馬鹿にされており、このことに腹を立てていたが、これにより発奮して頑張ったことで面白いと認められるほどに成長して、哲夫さえも認めるほどとなった[2]。
オーディション組だが、大阪NSC22期生(山里亮太(南海キャンディーズ)、ダイアン、スーパーマラドーナ、ミサイルマン、ネゴシックス、中山功太、キングコング、なかやまきんに君、久保田かずのぶ(とろサーモン)、林健(ギャロップ)、村本大輔(ウーマンラッシュアワー)など)、東京NSC5期生(大西ライオン、三瓶、平成ノブシコブシ、ピース、5GAP、ラフ・コントロール、遠山大輔(グランジ)、渡辺隆(錦鯉)、小田祐一郎(だーりんず)、とくこ)と同期扱いとされている。
2004年度から2007年度まで『爆笑オンエアバトル』(NHK総合)に出場し、終始安定した成績を残した他、2006年度には第9代チャンピオンに輝くなどの活躍を見せた。
2006年、第4回『MBS新世代漫才アワード』で優勝し、同年末に初冠番組『NON STYLEのフリースタイル!!』が放送された。2007年までにお笑いの新人賞6冠を獲得、Baseよしもとのトップ組に昇格する。
2008年4月6日をもって、所属の選択を迫られたことで井上が8年間所属していたBaseよしもとを卒業し、ルミネに行くことを決め、東京進出。両名とも東京に住居を構え、以降は、京橋花月・ルミネtheよしもと等に活動拠点を移す。
2008年、『M-1グランプリ2008』(テレビ朝日系列)で決勝戦に進出し、優勝を果たした。続く2009年にも連覇を目指し出場、敗者復活戦から勝ち上がり決勝戦進出を決めるも3位に終わる。
2010年12月23日には、『S-1バトル』のグランドチャンピオンで獲得した賞金1億円を使用し、さいたまスーパーアリーナにてお笑いライブでは過去最大規模となる1万2千人を収容して『NON STYLE NON COIN LIVE in さいたまスーパーアリーナ』を無料開催した(因みに、『S-1バトル』6月度月間チャンピオン時の賞金は、7月31日 - 10月12日に行われた単独ライブ『NON STYLE LIVE 2009 〜M-1優勝できました。感謝感謝の1万人動員ツアー〜』で、来場者に配布した無料ステッカーの製作費に使用した)。
主に漫才である。ハイテンポでボケの手数の多さが特徴[9][10]。爆笑レッドカーペットの影響であり、世代であるとしている。基本的にコント漫才であり、井上の簡潔なフリに対し石田が常に2つ以上のボケを出し続けることでスピード感を演出している。
石田はコンビ結成当初、ギャグ的要素を多用することで「誰からも取り残されない漫才」を意識していた。ストリート漫才を続ける過程で現在のスタイルに変わっていった[11]。
2007年まではカッコつけたがる井上を石田が「イキリ」(関西弁で意気がる、調子に乗るの意)とからかうことを特徴とする「イキリ漫才」と呼ばれるスタイルを主としていた[12]。
2008年、「石田がボケた後井上が突っ込み、さらに自分自身の右太ももあたりをグーで殴り自省するのを井上が突っ込む」というスタイルの漫才に切り替え、『M-1グランプリ』ではこのスタイルを駆使して優勝を果たした(詳細後述)。
漫才中に、石田が「あぁ〜井上ヤバイ! この話飽きてきた」と言って井上が続けていても、あの手この手で無理やり漫才を終わらせるボケを組み込む事もある。
ネタ作りは主に石田が担当している。二人とも即興性を好むということもあり、ツッコミの大半は井上がアドリブで作っている。また、井上は「石田が書いた台本を井上に見せずにネタをやる」→「台本を見せてからやる」→「それぞれ家に帰って覚える」という流れでツッコミを考えると共にネタの完成度を高めている[9]。井上は「人に見せたら、その人がネタについて新しく発想するかも知れない」としてネタ合わせ中は絶対に人には見せない。また、オーディション会場に出向いて、ストップウォッチで時間を計りながら、参加芸人のネタの内容を全部書き留めるという“偵察”も行うこともある[9]。
また、コントをすることもあり、『キングオブコント』準決勝進出の経験がある。
『爆笑オンエアバトル』には2004年度から2007年度まで出場し、10戦全勝という好成績を残した他、2006年度には9代目チャンピオンに輝くなどの活躍を見せた。
『M-1グランプリ』には2001年の第1回大会から2009年大会まで9回出場した。
回(年) | 結果 | 備考 |
---|---|---|
第8回(2006年) | ファイナル5位 | セミファイナルBブロック 1位通過 |
第9回(2007年) | チャンピオン | セミファイナルBブロック 2位通過 |
第10回(2008年) | ファイナル3位 | シード |
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