Loading AI tools
TBSテレビ系列で放送された報道番組 ウィキペディアから
『JNNニュースコープ』(ジェイエヌエヌ - 、通称:ニュースコープ)は、TBS(JNN)系列にて1962年(昭和37年)10月1日から1990年(平成2年)4月1日まで[注 2]、27年半の長期に渡って放送された夕方の報道番組である。日本初の本格的キャスターニュースショーとしても知られている。
タイトルはニュース(NEWS)とスコープ(Scope)を絡ませた造語[注 3] であり、その日の注目ニュースを望遠鏡や顕微鏡などのスコープのように鋭く、わかりやすく注目するということで名づけられた。
なお、国内の民放ネットワークによるニュース番組で、かつ同一タイトルの夕方のニュース番組としては最長記録を誇っている[注 4]。
1962年は、日本のテレビ受像機の普及が民放開局時の1万7000台から、1000万台に乗った記念すべき年だった[1]。と同時に、各局とも当時の娯楽番組が行きつくところまできた、という思いから、報道番組に力を入れる気運が盛り上がってきた[1]。TBSはこの年に報道部を報道局に昇格させ、日本テレビも報道番組を突破口に全日放送を目指し始めていた[1]。そんな時代背景のなかから、TBSの営業、編成、報道各局の中心人物で、"一直二博"と言われた諏訪博(のち社長)、橋本博、大森直道(のち常務)らが[2]、アメリカCBSのウォルター・クロンカイトのニュース番組などを参考に、「日本にもキャスターを導入しよう」と基本構想を立て、当時ニュース課長だった宿谷礼一と太田浩(のち東通社長)らに準備を命じて生まれた番組である[3]。
それまでは、朝、昼、夜に5~10分程度で、番組の穴埋め的な存在でしかなかったニュースを、月~土曜の夕方6時半から約30分にのばし、ニュース解説、政治や経済など映像になりにくい素材、生中継もふんだんに取り上げてスタジオ・ニュースを流すというのが、宿谷、太田らの考えで[3]、キャスター起用の他にも大型映写装置・アイドホール(今のプロジェクターにあたるもの)をスタジオに設置した。1968年(昭和43年)9月30日からカラー放送化され、78年11月20日の放送分から一部系列局を除いて月~金曜日に副音声で英語同時通訳が放送されたが、これはTBSテレビにおける初の音声多重放送だった[注 5]。
開始当初、地方系列局はいまだ未整備であり、正規のニュース系列がANN単独加盟であった時代の青森テレビ[注 6] に対しては、JNN協定には当てはめず、特例措置により開局当初からJNNのニュース取材・配信への参加も正式な加盟局に準ずる形で認めた上、この番組に関しては、名目上番組販売扱いでのネットを実施していた[4][5]。
1984年(昭和59年)10月から放送時間を50分に拡大し[6]、番組初の女性キャスターとして局アナの吉川美代子も起用され、特集とスポーツコーナーも設置。お天気キャスター[注 7] とスポーツキャスターも配した。TBS・JNNでは、18時からのローカルニュース『テレポートTBS6』と合わせて『ゴールデン80分ニュース』と銘打ち、80分のニュース枠が確保されることになり、番組終了後の19:20からは『Quiz Hour7:20』と触れ込み、既存のクイズ番組をルール改正や一部番組は枠移動させた上で40分に拡大し、月~木曜日までの帯で配置した[注 8]。この大改編は暫く一定したものの、結局、1987年(昭和62年)10月5日から月~金曜の放送時間は19:00までに短縮された。当時の天気コーナーは日本気象協会の職員が担当していたが、この放送時間短縮時に当時同協会に所属していた森田正光が天気キャスターとして夕方ニュース枠に初登場した。以後、番組タイトルやメインキャスターの変更を経ながら現在の『Nスタ』に至るまで同局夕方のニュースで天気予報を伝え続けている(2009年4月から9月の半年間を除く)。
1990年(平成2年)3月30日の放送を最後に終了し、4月からローカルニュース『テレポートTBS6』(最終年度は『テレポート6』)と統合し『JNNニュースの森』に移行した[注 9]。
初代メインキャスターは共同通信社で文化部長などを歴任。話が上手でマスクも人柄も柔和な印象を与える田英夫と[7][注 10]、読売新聞社で政治部歴が長く、政局に明るい点が買われ、戸川猪佐武を起用した[7]。それ以降は古谷綱正(毎日新聞社 論説委員)、入江徳郎(朝日新聞社 論説委員「天声人語」担当)[8]、浅野輔(翻訳家)、田畑光永(TBS記者)、平本和生(同。後に、TBSHD専務)と報道の第一線をリードしてきたジャーナリストがキャスターを務めた。田は5年半、古谷は16年間、入江は12年間担当。ニュースを一方的に伝えるのではなく、そのニュースの背景や自らの主張を視聴者に語りかけるような感じでの伝え方と分かり易い解説が受けて、お茶の間の人気を集め、当番組を長年に渡って支えた。
田は北ベトナム報道などの影響で番組を降板するが、その理由については一言も触れず、いつもなら、「皆さん、それではまたあした」と言うところを、「それでは皆さん、さようなら」と一言変えることだけで万感の思いを込めた[9]。古谷はエンディングで「それでは、きょうはこんなところです」と必ず挨拶することで「こってすのおじさん」として視聴者に親しまれた。
期間 | 平日 | 休日 | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
メインキャスター | 女性キャスター | スポーツ | お天気 | メインキャスター | スポーツ | |||||||
月曜日 | 火曜日 | 水曜日 | 木曜日 | 金曜日 | 土曜日 | 日曜日 | ||||||
1962年10月1日 | 1964年3月28日 | 田英夫☆[注 11] | 戸川猪佐武 | なし | なし | なし | 戸川猪佐武 | (放送なし) | なし | |||
1964年3月30日 | 1965年3月27日 | 田英夫☆ | 古谷綱正 | 藤原弘達 | 藤原弘達 | |||||||
1965年3月29日 | 1968年3月31日 | 藤原弘達 | ||||||||||
1968年4月1日 | 1968年9月29日 | 古谷綱正 | ||||||||||
1968年9月30日 | 1969年9月28日 | 近江正俊☆ | 近江正俊☆ | |||||||||
1969年9月29日 | 1977年4月3日 | 古谷綱正 | 入江徳郎 | |||||||||
1977年4月4日 | 1981年3月29日 | 浅野輔 | 入江徳郎 | |||||||||
1981年3月30日 | 1983年10月2日 | 新堀俊明☆ | ||||||||||
1983年10月3日 | 1984年10月7日 | 新堀俊明☆ | 浅野輔 | 浅野輔 | ||||||||
1984年10月8日 | 1987年10月4日 | 田畑光永☆ | 吉川美代子☆ | 松下賢次☆ | 浅野芳 | 多田護 | ||||||
1987年10月5日 | 1988年10月2日 | なし | 森田正光1・2・3・5 | 木場弘子☆4 | ||||||||
1988年10月3日 | 1989年10月1日 | 平本和生☆ | 三雲孝江☆3 | |||||||||
1989年10月2日 | 1990年4月1日 | 吉川美代子☆2 | 戸崎貴広☆2 | |||||||||
|
これらの映像は、「TBS50年史」(東京放送編、2002年刊)の付属のDVDでも視聴することが出来る[注 14]。
JST(日本標準時)で表記。
時期 | 月-金曜 | 土曜日 | 日曜日 |
---|---|---|---|
1962年10月1日 - 1965年3月27日 | 18:30 - 18:50(20分)[注 15] | (放送なし) | |
1965年3月29日 - 1973年3月 | 17:30 - 17:50(20分) | ||
1973年4月 - 1975年9月 | 18:30 - 18:50(20分)[注 15] | ||
1975年10月 - 1982年3月 | 18:30 - 18:55(25分)[注 16] | 18:30 - 18:50(20分) | |
1982年4月4日 - 1984年10月7日 | 18:30 - 18:50(20分) | 17:30 - 17:50(20分) | |
1984年10月8日 - 1987年10月4日 | 18:30 - 19:20(50分)[注 17] | ||
1987年10月5日 - 1990年4月1日 | 18:30 - 19:00(30分)[注 18] |
略称・系列は終了時点のもの。特筆すべきものがない局は放送開始から終了まで。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
---|---|---|---|
関東広域圏 | 東京放送(TBS) | JNN | 報道部制作・幹事局 |
北海道 | 北海道放送(HBC) | ||
青森県 | 青森テレビ(ATV) | 1969年12月1日開局から[注 19] 1975年3月30日までニュース系列は、ANNと同時加盟していたが、番販扱いでネット[注 20]。 | |
岩手県 | 岩手放送(IBC)[注 21] | ||
山形県 | テレビユー山形(TUY) | 1989年10月1日開局から[注 22] | |
宮城県 | 東北放送(TBC) | ||
福島県 | 福島テレビ(FTV) | 1971年10月1日[注 23] から1983年3月31日まで[注 24][注 25]。 1983年9月30日までは、TBSとフジテレビとのクロスネット局[注 26]。 現在は、フジテレビ系列(FNN)。 | |
テレビユー福島(TUF) | 1983年12月4日開局から[注 27] | ||
新潟県 | 新潟放送(BSN) | ||
長野県 | 信越放送(SBC) | ||
石川県 | 北陸放送(MRO) | ||
山梨県 | テレビ山梨(UTY) | 1970年4月1日開局から | |
静岡県 | 静岡放送(SBS) | [注 28] | |
中京広域圏 | 中部日本放送(CBC) | ||
近畿広域圏 | 朝日放送(ABC) | 1975年3月30日まで[注 29] 現在は、テレビ朝日系列(ANN)。 | |
毎日放送(MBS) | 1975年3月31日から[注 30] | ||
島根県・鳥取県 | 山陰放送(BSS) | ||
岡山県・香川県 | 山陽放送(RSK) | ||
広島県 | 中国放送(RCC)[注 31] | ||
高知県 | テレビ高知(KUTV) | 1970年4月1日の開局から | |
山口県 | テレビ山口(TYS) | 1970年4月1日の開局から FNSとのクロスネット時代は、本番組が19:20まで時期の火曜日に、フジテレビが『火曜ワイドスペシャル』を19:00開始とした際に、同番組を優先するため飛び降りることがあった。 | |
福岡県 | RKB毎日放送(RKB) | [注 32] | |
長崎県 | 長崎放送(NBC) | ||
熊本県 | 熊本放送(RKK) | [注 33] | |
大分県 | 大分放送(OBS) | ||
宮崎県 | 宮崎放送(MRT) | ||
鹿児島県 | 南日本放送(MBC) | [注 34] | |
沖縄県 | 琉球放送(RBC) | 1964年9月1日、マイクロ回線の開通に伴いネット開始。 |
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.