1988年の世界ラリー選手権
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1988年の世界ラリー選手権(1988 World Rally Championship season)は、FIA世界ラリー選手権の第16回大会となる。前年同様全13戦でタイトルが争われた。
1988年の世界ラリー選手権 | |||
優勝ドライバー ミキ・ビアシオン 優勝マニュファクチャラー ランチア | |||
前年: | 1987 | 翌年: | 1989 |
マルティーニ・ランチアは前年同様、今年度もシリーズを支配した。マニファクチャラー・ポイントが与えられる11戦の内、10戦で勝利を収めた。ランチア・デルタ HF 4WDはマルク・アレンとミキ・ビアシオンの手によってその速さと信頼性が証明された。シーズン途中でランチアはデルタ・インテグラーレを投入し、即座に成功を収めた。ビアシオンはドライバーズ・タイトルを獲得し、2位にはチームメイトのアレンが入った。サードドライバーのブルーノ・サビーもマニファクチャラーズ・タイトルに貢献したものの、ドライバーズ・タイトルの争いに加わることはできなかった。ジョリークラブのアレックス・フィオリオもランチアを駆ってランキング3位に入った。
フォード・モーターは唯一ランチア以外で勝利を収めたマニファクチャラーであった。ディディエ・オリオールがシエラ RS コスワースでツール・ド・コルスにおいて勝利した。オリオールはランキング6位、チームメイトのカルロス・サインツは11位という結果であった。ラリースポーツ・スウェーデンのスティグ・ブロンクビストもシエラをドライブし、フォード・ドライバー最上位のランキング4位となった。
1988年はアウディがWRCより撤退したが、多くの小チームおよびプライベイターはアウディ・クワトロを用いて結果を残し、アウディはマニファクチャラーズ・ランキング3位となった。マツダ・ラリーチーム・ヨーロッパはティモ・サロネンを第一ドライバーに起用し、マツダ・323 4WDで戦った。ティモはランキング5位となり、マツダはランキング4位に入った。
ワークスドライバーとマニファクチャラーズ・タイトルの争いに加えて、プロダクションカーによるFIAカップ選手権も争われた。シーズン2年目の今年度、カップはマツダ・323 4WDのパスカル・ギャバンが、ランチア・デルタのホルヘ・リカルデ、ジョヴァンニ・デル・ゾッポを抑えて獲得した。