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1987年の韓国シリーズ
1987年の韓国シリーズは、前後期1位で韓国シリーズに直行した三星ライオンズと後期2位でプレイオフ勝者のヘテ・タイガースのリターンマッチで2-2-3の7戦4勝制で行われヘテ・タイガースが4連勝で2年連続の3度目の優勝でタイトル防衛に成功した。同じ顔合わせの2年連続韓国シリーズも、同じチームの2年連続及び3度目の優勝も、シリーズでのストレート勝ちでの優勝も初めての出来事だった。
この年の韓国シリーズはヘテと三星の同じ顔合わせで、行われたが立場は前年とまったくの逆であった。三星がさらに強化された攻撃力で前後期ともに1位で終了して韓国シリーズ直行を決めた反面、前年韓国シリーズに直行したヘテ・タイガースは、後期リーグ2位の成績でプレイオフに回り、2年連続でプレイオフに進出したOBベアーズ相手に王手を掛けられ、最終戦まで行く苦戦の末、シリーズ進出を決めた。
この年の三星は前年まで左のエースだった金日融(キム・イリュン)が日本プロ野球に復帰して、投手力の低下が懸念された。しかし、前年の韓国シリーズ敗退で契約を延長しない形で退いた金永徳(キム・ヨンドク)監督の後任で強打者出身の朴永吉(パク・ヨンギル)を監督に迎え、攻撃力の強化を通じて公式戦では前年より成績を上げ韓国シリーズ直行を決めた。
この年の三星の打線はすさまじい物で、打率3割8分7厘で首位打者になった張孝祚(チャン・ヒョジョ)を筆頭にチーム打率がちょうど3割を記録、今まで1シーズンにおけるチーム打率の韓国最高記録とであり、唯一のシーズンチーム打率3割として残っている。一方、ヘテタイガースはシーズン24勝、防御率0.89を記録したエース宣銅烈がシリーズ直前、故障で出場が不透明という報道がなされた。また、シーズン対決でも三星は前年の6勝11敗1分けから9勝9敗と好転しており、今年こそ三星のリベンジかと思われた。
結局宣銅烈はシリーズ中1試合登板に終わったが、この年も前年の韓国シリーズのMVPだった左腕の金正洙(キム・ジョンス)が宣銅烈に代わる大活躍で2勝を挙げ、シリーズ男の名声を確認させるなど、投手陣が宣銅烈の穴を埋めながら、三星が誇った3割打線を封じ込んで投打に掛けて三星を圧倒。中立地域のソウルまでシリーズを移すことなく、ホームのファンの前で胴上げを見せることが出来た。
一方、三星の投手陣は金日融(キム・イリュン)の抜けた空白が埋められず、ヘテの打線に打ち込まれ1勝も出来ずに4連敗。その中でも、金日融の代わりに青宝ピントゥスからトレードで獲得した金基泰(キム・キテ)が期待以下の投球で終わったことや、前年までシリーズ通算0勝5敗で不振だった右のエース金始眞(キム・シジン)がまた2敗を追加するに止まったことで投手力の劣勢をまた痛感した。韓国シリーズで1勝も出来ずに敗退したのは、1983年のMBC青龍の例もあるが、ストレート負けで第4戦でシリーズが終了したのはこれが初めてであった。三星は前年にも増して、期待の大きさほど、更なる屈辱を味わいながら、韓国プロ野球が始まって、6年で4度も韓国シリーズ敗退という厳しい現実に苛立ちを募らせる結果に終わった。
この年のプレイオフのヘテ主催の試合は、プレイオフ期間中、本拠地である光州で全国体育大会行われたためホーム球場である無等球場を使用できなかった。それで、準本拠地であった全州球場でプレイオフの主催試合が行われた。なお、韓国シリーズは全国体育大会が終わった後で開かれたので、光州で行うことは出来たが、プレイオフ終了と韓国シリーズ開幕まで10日が開くことになった。
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