1933年の政治(1933ねんのせいじ)では、1933年(昭和8年)の政治分野に関する出来事について記述する。
1月
2月
- 2月1日
- ヒトラー、第一次四カ年計画を発表。
- 独、国会(ライヒスターク)解散。
- 2月14日 - 国際連盟「リットン報告書」を元に「中日紛争に関する国際連盟特別総会報告書」を採択し、「満州国」不承認を全会一致で可決。
- 2月24日
- 国際連盟特別総会において「リットン報告書」について審議。採択の結果は賛成42票、反対1票(日本)、棄権1票(シャム=現タイ)、投票不参加1国(チリ)。日本代表団(松岡洋右全権代表)は議場を退場。
- プロイセン州警察(担当はプロイセン内相のヘルマン・ゲーリング無任所相)、カール・リープクネヒト館(共産党本部)を捜索、共産主義者蜂起の計画書を発見したと発表。
- 2月27日 - 独、国会議事堂放火事件。
- 2月28日 - ヒトラー、「国民と国家の保護のための大統領令」及び「ドイツ国民への裏切りと反逆的策動に対する大統領令」を緊急大統領令として閣議決定。
ジョン・トーランドは「共産党を非合法化するというあやまちを犯さず、労働者階級の票が社会民主党に流れるのを防ぐために、選挙が終わるまで待つことに決めた。」としており、選挙中に共産党が合法政党であったのはナチス党の戦略と見ている。トーランド、141P