1510年インフルエンザの世界的流行
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1510年インフルエンザの世界的流行(1510ねんインフルエンザのせかいてきりゅうこう)では、1510年にアフロ・ユーラシア大陸の広範囲で発生したインフルエンザの大流行(パンデミック)について述べる。この年、アジアで急性の呼吸器感染症が発生し[2][1][3]、北アフリカやヨーロッパへと伝播した。これは中世の歴史家や疫学者らにより記録された初めての地域間流行性感冒大流行であった[4][1][5][6][7][8][9]。現代においてインフルエンザとして知られる感染症に似た症状は、遅くともカール大帝の時代から記録されており[1]、1357年の流行で初めて「インフルエンザ」という名前で呼ばれている[10][8]が、この疾患が病理的に説明されたのは1510年の大流行が初めてである[11][12]。その背景には、活版印刷機の発明による情報共有技術の発達があった。なお大流行当時のフランスやシチリアでは、この疫病はもっぱら「コクリュシュ」(フランス語: coqueluche、現代では百日咳にあてられる単語)あるいは「コッコルーチョ」(イタリア語: coccolucio)という名で呼ばれており[13][14]、近世ヨーロッパ(英語版)ではこれらが最も知名度のある名称であった[1]。インフルエンザの大流行は各国政府、教会、社会をひどく混乱させた[15][3][6]。ほとんど世界的な流行を見せ[16]、致死率は1パーセントほどであった[1]。