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黄 鍾瑛(こう しょうえい)は中華民国の海軍軍人。辛亥革命後に成立した南京臨時政府において海軍総長を務め、北京政府でも初代海軍総司令となった人物である。旧名は良鏗、別名は鎏、号は賛侯。
福州船政学堂と劉公島槍砲(銃砲)学堂で学び、卒業後は海軍に入隊する。各種艦船において艦銃砲員、操舵員、副艦長等の職務を歴任した後、艦船「飛鷹」の艦長に就任した。その後、艦船「鏡清」の艦長に転じ、海軍部駐上海参謀も兼任している。1911年(宣統3年)9月、巡洋艦「海籌」の管帯(艦長)に就任し、まもなく海軍臨時艦隊司令に抜擢された。
同年10月、武昌起義(辛亥革命)が勃発すると、黄鍾瑛は九江で反清の挙兵を行い、革命派から海軍司令部長に任ぜられる。1912年(民国元年)1月、南京臨時政府で海軍総長となり、北京政府合流後は初代海軍総司令に転じている。しかし同年11月、病気のため総司令職を離れ(暫時、徐振鵬が代理)[1]、12月4日、上海で死去した。享年44(満43歳)[2]。
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