青年日本号
日本のプロペラ機 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
青年日本号(せいねんにほんごう)は、石川島飛行機製作所が設計および生産した練習機R-3を、さらに長距離飛行用に改造した、乗員2名の複葉プロペラ機。1931年(昭和6年)に法政大学航空研究会が日本学生航空連盟を代表して敢行した、日本初の学生訪欧飛行で採用された機体である。
![Thumb image](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/94/HUPlane_YoungJapan.png/320px-HUPlane_YoungJapan.png)
青年日本号は地図と羅針盤だけに頼る有視界飛行で、東京~京城~満州~モスクワ~ベルリン~ブリュッセル~ロンドン~パリ~リヨン~マルセイユへと、中国大陸やユーラシア大陸などの各主要都市を経由しながら、1931年8月31日に最終目的地のローマに到着。発動機の故障や天候不良などによって2回の不時着[注釈 1]に見舞われながらも、約3ヶ月の期間を要して、全航程13,671 kmにも及ぶ長距離飛行を完遂した[2]。