長距離砂漠挺身隊
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長距離砂漠挺身隊(英語: Long Range Desert Group: LRDG)は、第二次世界大戦におけるイギリス陸軍の偵察・襲撃部隊である。
長距離砂漠挺身隊 Long Range Desert Group (LRDG) | |
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活動期間 | 1940年7月 - 1945年8月 |
解散 | 1945年8月1日 |
国籍 | イギリス |
軍種 | イギリス陸軍 |
任務 |
偵察 情報収集 襲撃 |
兵力 | 全階級で、最大350名[1] |
上級部隊 |
イギリス西方砂漠軍(英語版) イギリス第8軍(英語版) |
渾名 |
リビア・砂漠タクシー・サービス 幽霊巡視隊 (イタリア語: Pattuglia Fantasma)[2] |
標語 | 力でなく狡猾さで (ラテン語: Non Vi Sed Arte) (非公式)[3] |
装備 |
シボレーまたはフォード製トラック ウィリス製ジープ |
主な戦歴 | |
指揮 | |
著名な司令官 |
ラルフ・アルジャー・バグノルド(英語版) ガイ・レノックス・プレンダーガスト(英語版) ジョン・リチャード・イーソンスミス(英語版) デイヴィッド・ロイド・オーウェン(英語版) |
識別 | |
LRDGの記章[2] | |
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元々は長距離巡視隊(LRP)と呼ばれたこの部隊は、1940年6月にエジプトでラルフ・アルジャー・バグノルド(英語版)少佐によって創設され、アーチボルド・ウェーヴェル将軍の指揮の下で行動した。バグノルドはパトリック・クレイトン大尉とウィリアム・ショー(英語版)大尉の補佐を受けていた。当初は人員の大部分がニュージーランド出身であったが、じきに南ローデシア人とイギリス本国人の志願者が加わり、そこで新たな傘下部隊が組織され、より知名度の高い長距離砂漠挺身隊(LBDG)に名称が変更された。LRDGは数にして350名を越えたことがなく、その全員が志願者であった。
LBDGは特に、イタリア軍前線の後方における深潜行活動、隠密の偵察警備行動、そして諜報作戦を遂行するために組織されたが、時折は戦闘作戦にも携わった。LRDGは砂漠行の熟練であったことから、時には特殊空挺部隊(SAS)や諜報員たちを含む他の部隊が砂漠を横断する際の案内を任ぜられた。1940年12月から1943年4月にかけての砂漠戦役(英語版)の間に、LBDGの車両群は絶えず枢軸軍前線の後方で作戦に携わっており、期間全体において不在であったのは総計して僅か15日間であった[3]。おそらく彼らの最も特筆に値する攻撃活動はキャラヴァン作戦の最中、1942年9月13日夜のバルカの街と付随する飛行場に対する攻撃である。しかし、彼らの最も重大な役割は「道路監視」であり、その間にトリポリからベンガジに至る幹線道路の往来を秘密裏(英語版)に監視し、イギリス陸軍司令部に情報を送っていた。
1943年5月にチュニジアの枢軸軍部隊が降伏すると、LRDGはその役割を変え、地中海東部に行動の場を移し、ギリシア諸島やイタリア、バルカン半島で作戦を実施した。ヨーロッパでの戦争が終わるとLRDGの指揮官連はイギリス陸軍省へ、部隊が極東地域へ移され、日本軍に対する作戦を行えるように請願した。この請願は退けられ、LRDGは1945年8月に解散した。