金 邦平(きん ほうへい)は、清末民初の政治家・実業家。伯平

概要 金邦平, プロフィール ...
金邦平
Thumb
『改訂 現代支那人名鑑』(1928年)
プロフィール
出生: 1881年光緒7年)
死去: 不詳
出身地: 清の旗 安徽省徽州府黟県
職業: 政治家・実業家
各種表記
繁体字 金邦平
簡体字 金邦平
拼音 Jīn Bāngpíng
ラテン字 Chin Pang-p'ing
和名表記: きん ほうへい
発音転記: ジン バンピン
テンプレートを表示
閉じる

事績

1899年光緒25年)、日本に留学し、早稲田大学で学んだ。1903年光緒29年・明治36年)に英語政治科、1905年(光緒31年・明治38年)に大学部政治経済学科をそれぞれ卒業している[1]。帰国後は袁世凱の文案となった。以後、北洋督錬処参議、直隷省自治局督理、資政院秘書長などを歴任している。

中華民国成立後の1912年民国元年)、中国銀行籌弁処総弁に任じられる。1914年(民国3年)、北京政府政事堂参議となる。翌年3月、農商部次長となり、8月には全国水利局副総裁も兼任した。1916年(民国5年)4月、段祺瑞内閣において周自斉の後任として農商総長に任命されたが、わずか2か月で辞任した。

以後は政界を離れて天津に移り、実業活動に従事する。1931年(民国20年)には、上海啓新洋灰公司経理となっている。[2]。これ以降、金邦平の活動は不詳である。

参考文献

Wikiwand in your browser!

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.

Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.