事績
1899年(光緒25年)、日本に留学し、早稲田大学で学んだ。1903年(光緒29年・明治36年)に英語政治科、1905年(光緒31年・明治38年)に大学部政治経済学科をそれぞれ卒業している[1]。帰国後は袁世凱の文案となった。以後、北洋督錬処参議、直隷省自治局督理、資政院秘書長などを歴任している。
中華民国成立後の1912年(民国元年)、中国銀行籌弁処総弁に任じられる。1914年(民国3年)、北京政府政事堂参議となる。翌年3月、農商部次長となり、8月には全国水利局副総裁も兼任した。1916年(民国5年)4月、段祺瑞内閣において周自斉の後任として農商総長に任命されたが、わずか2か月で辞任した。
以後は政界を離れて天津に移り、実業活動に従事する。1931年(民国20年)には、上海啓新洋灰公司経理となっている。[2]。これ以降、金邦平の活動は不詳である。
注
参考文献
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