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日本の歌手、俳優、レーサー、タレント (1964-) ウィキペディアから
近藤 真彦(こんどう まさひこ、1964年〈昭和39年〉7月19日[1] - )は、日本の歌手、俳優、実業家、レーサー、タレント。KONDO Racing Team監督、エムケイカンパニー(同チームの管理会社)代表取締役社長[2]。2023年4月より、スーパーフォーミュラ等を運営する日本レースプロモーション(JRP)取締役会長を務める[3]。かつてジャニーズ事務所に所属していた。愛称はマッチ(MATCHY、[4]名付け親はジャニーズ事務所時代の先輩・松原秀樹)。
1979年10月、TBSのテレビドラマ『3年B組金八先生』の生徒「星野清」役でデビュー。同じく生徒役だった田原俊彦、野村義男とともに「たのきんトリオ」として活躍[6]。
その後、1980年12月12日に「スニーカーぶる〜す」でソロ歌手としてデビュー。1980年代を代表する男性アイドルとして、『ザ・ベストテン』や『ザ・トップテン』などの歌番組を中心に活躍した。1981年、1983年のブロマイド年間売上成績で第1位を獲得。また、1982年には『ゴールデンアイドル賞』を受賞。1987年の『第29回日本レコード大賞』において「愚か者」で大賞を受賞した[7]。代表曲として『スニーカーぶる~す』、『ギンギラギンにさりげなく』、『愚か者』などがある。
また、ファンによる数々の“親衛隊”も誕生(事務所では「応援グループ」という呼び名で統一。親衛隊という言い方はさせなかった)。ステージ用の応援コールとして「G・U・T・Sこんどーまさひこアダルトタッチのセクシーボーイ ま〜っさひ〜こ〜」というフレーズも作られた。男性アイドルとしては珍しく、同年代の男性ファンも多く獲得、歌手活動と並行してテレビドラマや映画などで俳優としても活躍した。
2005年末にデビュー25周年を迎え、ソロとしては7年7か月ぶりに新曲「挑戦者」をリリース(楽曲提供ロクセンチ)し、ディナーショーも開催。歌手としては約7年ぶりにファンの前に姿を現した(鹿児島、東京公演では少年隊がゲスト出演)。同年以降のジャニーズ年越しライブにもスペシャルゲストとして参加している。
2006年9月1日放送のテレビドラマ『内田康夫旅情サスペンス 岡部警部シリーズ〜倉敷殺人事件〜』では『ドンウォリー!』以来のドラマ主演を務め、2007年8月31日に第2弾として『多摩湖畔殺人事件』、2008年9月5日に第3弾として『十三の墓標』が放送された。
2007年5月9日に発売されたライブDVDについては、映像作品では1987年3月30日付にビデオ『OH! ROCK'A MONO』で獲得して以来、20年2か月ぶりの1位獲得となった。
2010年11月20日、『第52回日本レコード大賞』の最優秀歌唱賞に選ばれ、自筆のコメントを発表した[8]。
2011年、『3年B組金八先生ファイナル』にて『3年B組金八先生』スペシャル9以来13年ぶりに「星野清」役として出演[9]。
2020年11月16日、不倫疑惑が報じられたことに伴い、ジャニーズ事務所は、無期限の芸能活動自粛処分とした[10]。
2021年4月30日、ジャニーズ事務所の公式サイトにて、同日をもって事務所を退所することが発表された[11][12]。
2021年7月19日、Twitterで11月2日に中野サンプラザホールでコンサート「Masahiko Kondo ReSTART 20+21+1×1-2」を開催することを発表した[13]。
2021年8月18日、同月14日に亡くなり、世話になった藤島メリー泰子にお悔やみのコメントを発表した[14]。
2021年9月7日放送の文化放送のラジオ番組「松井佐祐里“new nomal”の小部屋[15]」に出演することが発表され、芸能界に復帰。
2021年4月中旬に、近藤から事務所に4月いっぱいでの退所の希望を申し出た。事務所の幹部は本人の意思を尊重し、4月30日付での退所となった。芸能リポーターの駒井千佳子は、2021年5月3日に出演したテレビ番組『情報ライブ ミヤネ屋』内で、「近藤が退所の希望を出したのは4月中旬で、わずか半月後となる4月いっぱいで事務所を辞めさせて欲しいと申し入れた。ジャニーズ事務所の幹部の方も非常に驚かれたようだが、本人の意思も強かったということで尊重し、4月いっぱいで退所ということになった。」と報告した[16]。
その後2021年5月16日に自身が監督を務めるレーシングチームの監督業に復帰。その際に退所に関して「(ファンには)申し訳ないことをしたので皆さんが笑顔になれる活動をしたい。一から出直す気持ちで頑張る」、ジャニーズ事務所の後輩達へは「本当にできの悪い長男でした。もう少し後輩にも頼られるような先輩でいたかった」とインタビューに答えた[17]。なお、以後は芸能活動のマネジメントについても、レーシングチームの運営母体であるエムケイカンパニーが取り扱っている。
また、2021年9月7日に放送されたラジオ番組、文化放送『松井佐祐里“new normal”の小部屋』の番組内で、復帰後初のレギュラー新番組『近藤真彦 RADIO GARAGE』が9月28日よりスタートする旨の発表と同時に、退所についてのコメントが発表された。近藤は不祥事についての謝罪と共にジャニーズ事務所を退所したことを改めて報告。44年間世話になった事務所から巣立つ決断に至ったのは、不祥事が原因であることを認めると共に、あと数年で60代となり思い余るものもあり、芸能生活と共にレース活動は本業であるが故にスケジュール調整などでスタッフに苦労をかけてきたこと、世代交代の激しいジャニーズ事務所の中において仕事をし続けることの難しさを痛感し、「これ以上ジャニーズ事務所に迷惑をかけられない」と自分の想いを打ち明け、何度も話し合いを重ねた上での退所となった事を報告した[18]。
なお、この件について、ジャニーズ事務所では近藤の次の年長者であった東山紀之からは、「僕自身は、今回の退所の仕方に大きな疑問が残っている」、「コメントがすごく薄っぺらく感じる」と、近藤への苦言ともとれるコメントがあった[19]。尚、近藤はレーシングチームの監督業に復帰のインタビューで「(東山とは)話はしていない」と答えた[20][21]。
ドライバーとして1984年に富士フレッシュマンレース第2戦に日産・マーチで参戦(フレッシュマンレースとして異例の35,400人の観客を動員)[22]したのを皮切りに、「日本一速い男」の称号を持つレーサーの星野一義のもとでレース活動を始め、1988年から1993年にかけては全日本F3選手権に参戦した。
1994年には世界三大レースの一つであるル・マン24時間レースにポルシェ・962Cで初参戦を果たした。またこの年、全日本GT選手権(JGTC)のGT1クラスにも962Cでアンソニー・レイドとのコンビで参戦し、初優勝をポール・トゥ・ウィンで飾った。この勝利は962Cがビッグレースで記録した最後の勝利でもあった。1995年にもポルシェ・911を駆りGT1クラスで優勝し、その後もGT500やGT300クラスにおいて数々の入賞を獲得した。
以降も全日本F3000選手権/フォーミュラ・ニッポンなどの全日本格式の最高峰カテゴリーに参加し、入賞を獲得するとともに、ル・マン24時間レースにも引き続き参戦した。特に完走率の高さには定評があり、1995年ル・マンでは雨に祟られて荒れるレース展開の中、マクラーレン・F1やフェラーリ・F40等が跋扈する同じGT1クラスに日産・GT-R LMで総合10位という殊勲を遂げている。また翌年には同じように雨の中のレースでフォーミュラ・ニッポンで入賞している。
2003年をもって、監督業に専念するためにレーシングドライバーとしての活動を中止したが、その後も「ラ・フェスタ・ミッレミリア」などのクラシックカーラリーに参戦している。
ドライバー時代から日産とADVAN(横浜ゴム)と深い関わりを持っており、これは監督業に転向しても続いている。
1998年に、当時所属していた「チームTMS」の協力により、若手ドライバー育成を目的に「KONDO MASAHIKO RACING PROJECT」を設立して全日本F3選手権に1年間監督として参戦し[23]、レーシングチームの運営ノウハウを学んだ。そして2000年に自らのレーシングチーム「KONDO Racing Team」を設立し、フォーミュラ・ニッポンへの参戦を開始し、2006年に日産勢としてSUPER GTのGT500クラスへの参戦も開始した。
2007年にはSUPER GT第4戦(マレーシア・セパン)にて、KONDO Racing Teamとしての初優勝を飾った。2008年も第4戦(セパン)で優勝し連覇を達成したのに続き、フォーミュラ・ニッポン第7戦(富士)でも8年目にして初優勝を達成した。
2009年は世界的な景気後退の影響を受けてフォーミュラ・ニッポンへの参戦は休止するが、SUPER GTには引き続き参戦した。第1戦(岡山国際サーキット)にて、豪雨を制し国内初優勝を飾った。2010年もSUPER GT第1戦(鈴鹿)で優勝し、開幕戦2連覇を達成した。フォーミュラ・ニッポンには第5戦から松田次生を擁して復帰し、その後同選手権が「スーパーフォーミュラ」に改称された後も参戦。
また2012年からKONDOレーシングは、育成の一環として日産自動車大学校とジョイントし、スーパー耐久のST-Xクラスにも参戦を開始。2016年にチャンピオンになった。
2015年SUPER GT第4戦(富士)では、5年ぶりとなる優勝を飾った。2016年は、タイヤ無交換の奇襲を2度成功し、双方で勝利を挙げた他、2018年にはスーパーフォーミュラのチーム部門でチャンピオンに輝き、2020年と2022年はSUPER GTのGT300でも年間チャンピオンを獲得(ドライバーは藤波清斗とジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ)するなど、いちアイドルを超えて他チームの監督やファンも認める一人前の監督に成長した。
2023年4月、中嶋悟の後任として、日本レースプロモーション(JRP)の取締役会長に就任[3]。
なお公式ホームページには、肖像権がタレント活動とは別に管理されているためか、ジャニーズ事務所在籍中から近藤の顔写真が掲載されていた。
30年を超える長いレース経験や、全日本格式のレースにおける複数回の優勝など、プロのレーシングドライバーに伍する成績を上げていることから、国内外のレース界では「歌手」ではなく、「元ドライバーのレース監督」として認識されており、レース界での広い交友関係を生かし、2006年から東京都のお台場で行われているモータースポーツジャパンでは、イベント全体のスーパーバイザーを務めている。
フジテレビのF1中継(F1グランプリ)に1989年日本グランプリでピットレポーターとして初登場。その後、2003年から2011年までの地上波でF1中継のレギュラー解説者を務めた(2012年からは日本GPのBS中継のみ出演)。
# | 発売日 | タイトル | 最高順位 | 備考 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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RVC(アリオラジャパン) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1 | 1980年12月12日 | スニーカーぶる〜す | 1位 | 1981年度年間3位 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
2 | 1981年3月12日 | ヨコハマ・チーク | 2位 | 1981年度年間20位 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
3 | 1981年6月12日 | ブルージーンズ メモリー | 1位 | 1981年度年間11位 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
4 | 1981年9月30日 | ギンギラギンにさりげなく | 1981年度年間21位
第23回日本レコード大賞最優秀新人賞受賞、第32回・第66回NHK紅白歌合戦出場曲 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
5 | 1982年1月7日 | 情熱☆熱風☽せれなーで | 1982年度年間9位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
6 | 1982年3月31日 | ふられてBANZAI | 1982年度年間10位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
7 | 1982年6月30日 | ハイティーン・ブギ | 1982年度年間7位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
8 | 1982年9月30日 | ホレたぜ!乾杯 | 1982年度年間26位
第33回NHK紅白歌合戦出場曲 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
9 | 1983年1月20日 | ミッドナイト・ステーション | 1983年度年間23位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
10 | 1983年4月27日 | 真夏の一秒 | 1983年度年間29位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
11 | 1983年7月15日 | ためいきロ・カ・ビ・リー | 1983年度年間34位
第34回NHK紅白歌合戦出場曲 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
12 | 1983年11月1日 | ロイヤル・ストレート・フラッシュ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
13 | 1984年3月1日 | 一番野郎 | 1984年度年間33位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
14 | 1984年6月6日 | ケジメなさい | 1984年度年間26位
第35回NHK紅白歌合戦出場曲 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
15 | 1984年9月13日 | 永遠に秘密さ | 1984年度年間49位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
CBS・ソニー(Sony Records) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
16 | 1985年2月13日 | ヨイショッ! | 1位 | 第36回NHK紅白歌合戦出場曲 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
17 | 1985年6月5日 | 夢絆 | 2位 | 第11回日本テレビ音楽祭グランプリ受賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
18 | 1985年10月21日 | 大将 | 6位 | 第16回日本歌謡大賞受賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
19 | 1986年2月26日 | 純情物語 | 6位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
20 | 1986年7月4日 | 青春 | 7位 | 第37回NHK紅白歌合戦出場曲 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
21 | 1986年9月10日 | Baby Rose | 6位 | 織田哲郎の曲をカヴァー | |||||||||||||||||||||||||||||||||
22 | 1987年1月1日 | 愚か者 | 2位 | 1987年度年間35位
第29回日本レコード大賞受賞 第38回NHK紅白歌合戦出場曲 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
23 | 1987年6月11日 | さすらい | 4位 | 第13回日本テレビ音楽祭グランプリ受賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
24 | 1987年9月18日 | 泣いてみりゃいいじゃん | 1位 | 第18回日本歌謡大賞受賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
25 | 1988年4月8日 | Made in Japan | 3位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
26 | 1988年9月14日 | あぁ、グッと | 4位 | 第39回NHK紅白歌合戦出場曲 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
27 | 1989年2月3日 | 夕焼けの歌 | 7位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
28 | 1989年6月1日 | Just For You | 11位 | 『ザ・ベストテン』で10位以内にランクインした最後の曲(1989年6月15日放送回:第8位) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
29 | 1989年7月5日 | いいかげん | 11位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
30 | 1989年11月10日 | アンダルシアに憧れて | 9位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
31 | 1990年4月8日 | 気ままにWALKIN' | 15位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
32 | 1990年5月5日 | 気ままにWALKIN'-One Step At A Time- | 35位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
33 | 1990年7月12日 | Ho Ho Ho… | 16位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
34 | 1990年10月24日 | 好き | 18位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
35 | 1991年7月19日 | デスペラード -ならず者- | 31位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
36 | 1991年12月12日 | 無頼派 | 40位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
37 | 1992年5月21日 | 少年のこころ | 40位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
38 | 1993年11月21日 | 北街角 | 41位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
39 | 1995年7月21日 | 最後のラヴ・ソング | 81位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
40 | 1996年2月21日 | ミッドナイト・シャッフル | 4位 | 1996年度年間34位
第47回NHK紅白歌合戦出場曲 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
41 | 1997年2月21日 | 愛はひとつ | 22位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
42 | 1998年5月20日 | KING and QUEEN | 29位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
43 | 2002年5月22日 | ヨイショ!'02 〜日本の皆さんホメていきまショー〜 | 19位 | 「MATCHY with O.A.I」名義
「ヨイショッ!」 のセルフカヴァー(鈴木おさむによって詞が大幅にリライトされている)。稲垣吾郎・浅野ゆう子・小林稔侍・矢田亜希子・市川染五郎(現十代目松本幸四郎)・畑野浩子とともに "MATCHY with O.A.I" として歌唱 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
44 | 2005年12月14日 | 挑戦者 | 15位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
45 | 2007年1月24日 | 上海慕情/情熱ナミダ | 28位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
46 | 2008年1月23日 | 目覚めろ!野性 | 5位 | 「MATCHY with QUESTION?」名義
Question?とのコラボバンドユニットとして発売 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
47 | 2008年12月23日 | BANKA 〜男たちの挽歌〜 | 21位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
48 | 2009年12月13日 | -MOTTO- | 28位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
49 | 2010年2月22日 | ざんばら | 15位 | 第52回日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
50 | 2012年11月21日 | Let's Go! | 21位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
51 | 2014年2月26日 | 千年恋慕 | 22位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
52 | 2015年12月9日 | 大人の流儀 | 15位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
53 | 2017年12月3日 | 軌跡 | 35位 |
# | 発売日 | タイトル | 最高順位 | |||||||||||||
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RVC(アリオラジャパン) | ||||||||||||||||
1 | 1981年3月5日 | Thank 愛 You | 1位 | |||||||||||||
2 | 1981年12月16日 | ギンギラギンにさりげなく | ||||||||||||||
3 | 1982年7月18日 | BANZAI | 2位 | |||||||||||||
4 | 1983年4月1日 | RISING | ||||||||||||||
5 | 1984年1月1日 | WINNING | ||||||||||||||
6 | 1984年8月1日 | Shining | ||||||||||||||
CBS・ソニー(Sony Records) | ||||||||||||||||
7 | 1985年8月1日 | SUMMER IN TEARS | 5位 | |||||||||||||
8 | 1986年4月10日 | 名場面 | 3位 | |||||||||||||
9 | 1986年12月12日 | DREAM | 5位 | |||||||||||||
10 | 1987年11月26日 | FOR YOU 抱擁 | 11位 | |||||||||||||
11 | 1988年11月2日 | Japan | 7位 | |||||||||||||
12 | 1989年7月19日 | 夏のエアメール | 12位 | |||||||||||||
13 | 1989年12月12日 | KICKS | 21位 | |||||||||||||
14 | 1990年11月10日 | うそのない言葉 〜THE TRUTH〜 | 18位 | |||||||||||||
15 | 1991年12月21日 | 無頼派 | 65位 | |||||||||||||
16 | 1992年12月12日 | 綺麗 KI・RE・I | 73位 | |||||||||||||
17 | 1993年12月12日 | 北街角 | 81位 | |||||||||||||
18 | 1997年7月1日 | GET BACK | 48位 |
# | 発売日 | タイトル | 最高順位 |
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1 | 1985年4月4日 | THE MATCHY best song for you | 2位 |
2 | 1987年6月4日 | 近藤真彦THE BEST | 10位 |
3 | 1990年12月12日 | By Your Request | 24位 |
4 | 1996年11月21日 | THE ROCK BEST | 29位 |
5 | 2006年2月8日 | MATCHY★BEST | 15位 |
6 | 2007年2月7日 | MATCHY★BEST II | 34位 |
# | 発売日 | タイトル | 備考 | ||||||||||||
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日本ビクター | |||||||||||||||
1 | 1984年6月15日 | 近藤真彦 武道館 | 同年3月29日に日本武道館で行われたコンサートを収録。 | ||||||||||||
2 | 1984年7月21日 | 近藤真彦 武道館 2 | |||||||||||||
3 | 1985年3月4日 | 近藤真彦 1985 | 1月13日に東京・NHKホールで行われたコンサートを収録。 | ||||||||||||
CBS・ソニー(Sony Records) | |||||||||||||||
4 | 1986年6月1日 | ON THE ROAD ~ フロリダ物語 | |||||||||||||
5 | 1987年7月19日 | OH! ROCK'A MONO | |||||||||||||
6 | 1987年11月28日 | OH! ROCK'A MONO DIGEST | |||||||||||||
7 | 1989年11月26日 | 近藤真彦 LIVE'89 | |||||||||||||
8 | 1990年10月21日 | MASAHIKO KONDO 10TH ANNIVERSARY 1990 MK-1 MATCHY YAON | 収録年月:1990年7月21・22日,日比谷野外音楽堂 | ||||||||||||
9 | 1990年11月21日 | MASAHIKO KONDO 10TH ANNIVERSARY 1990 MK-2 MATCHY YAON P.S. I Love You. | |||||||||||||
10 | 1990年12月21日 | MASAHIKO KONDO 10TH ANNIVERSARY 1990 MK-3 PRESENT | |||||||||||||
11 | 1992年3月25日 | BuLai '92 | 収録年月:1992年1月7・8日 中野サンプラザ | ||||||||||||
12 | 1993年4月21日 | KI・RE・I〜LIFE&LIVES〜 | 収録年月:1993年1月7・8日 中野サンプラザ | ||||||||||||
13 | 1996年11月21日 | Midnight Shuffle | 収録年月:1996年7月30・31日 中野サンプラザ | ||||||||||||
14 | 2007年5月9日 | '07 Valentine's Day in 武道館 | 2枚組 | ||||||||||||
15 | 2008年7月19日 | 近藤真彦ライブ 07.12.26-08.02.14 |
曲名 | タイアップ |
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スニーカーぶる〜す | 映画『青春グラフィティ スニーカーぶる〜す』主題歌 |
ブルージーンズメモリー | 映画『ブルージーンズメモリー BLUE JEANS MEMORY』主題歌 |
ギンギラギンにさりげなく | CM:ハウス食品「ククレカレー」 |
恋のNON STOPツーリング・ロード | CM:ハウス食品「ロッカッキー」 |
ハイティーン・ブギ | 映画『ハイティーン・ブギ』主題歌 |
MOMOKO | 映画『ハイティーン・ブギ』挿入歌 |
ためいきロ・カ・ビ・リー | 映画『嵐を呼ぶ男』主題歌 CM:ハウス食品「ククレカレー」 |
北街角 | CM:ハウス食品「うまいっしょ」 |
ミッドナイト・シャッフル | 日本テレビ系ドラマ『銀狼怪奇ファイル』オープニングテーマ |
愛はひとつ | TBS系ドラマ『ストーカー・誘う女』主題歌 |
KING and QUEEN | フジテレビ系ドラマ『ドンウォリー!』主題歌 |
挑戦者 | フジテレビ系『金曜エンタテイメント』オープニングテーマ 舞台『DREAM BOYS』テーマソング |
上海慕情 | TBS系『Goro's Bar』テーマソング |
-MOTTO- | CM:H.I.S.30周年イメージソング |
Let's Go! | テレビ東京系アニメ『超速変形ジャイロゼッター』オープニングテーマ |
千年恋慕 | NHK時代劇『鼠、江戸を疾る』主題歌 |
年度 | 放送回 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 | 備考 |
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1981年 | 第32回 | 初 | ギンギラギンにさりげなく | 01/22 | 河合奈保子 | 白組トップバッター |
1982年 | 第33回 | 2 | ホレたぜ!乾杯 | 02/22 | あみん | |
1983年 | 第34回 | 3 | ためいきロ・カ・ビ・リー | 11/21 | 中森明菜 | |
1984年 | 第35回 | 4 | ケジメなさい | 07/20 | 中森明菜(2) | |
1985年 | 第36回 | 5 | ヨイショッ! | 16/20 | 島倉千代子 | |
1986年 | 第37回 | 6 | 青春 | 10/20 | 河合奈保子(2) | |
1987年 | 第38回 | 7 | 愚か者 | 08/20 | 小泉今日子 | |
1988年 | 第39回 | 8 | あぁ、グッと | 04/21 | 中森明菜(3) | |
1996年 | 第47回 | 9 | ミッドナイトシャッフル | 05/25 | TRF | 8年ぶりの出場 |
2015年 | 第66回 | 10 | ギンギラギンにさりげなく(2回目) | 26/26 | 松田聖子 | 19年ぶりの出場、白組トリ[55] |
『FNS歌謡祭』(フジテレビ系列)には1981年に初出演していて、以降も多数出演している。
1991年〜1998年はデータ不明の為、1999年以降の出演データを記載。
年度 | 放送回 | 回 | 曲目 | 曲順 | コラボレーション |
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2005年 | 第34回 | 不明 | スニーカーぶる〜す | 13/35 | |
愚か者 | 14/35 | ||||
ミッドナイト・シャッフル | 15/35 | ||||
2010年 | 第39回 | スニーカーぶる〜す | 71/74 | 近藤真彦×堂本剛 | |
ミッドナイト・シャッフル | 72/74 | 近藤真彦×堂本光一 | |||
ざんばら | 73/74 | ||||
2012年 | 第41回 | ハイティーン・ブギ | 13/79 | 近藤真彦×綾小路翔 | |
嵐を呼ぶ男 | 55/79 | 舘ひろし×近藤真彦 | |||
Let's Go! | 77/79 | 近藤真彦×TOKIO×KinKi Kids×テゴマス | |||
2014年 | 第43回 | ギンギラギンにさりげなく | 51/105 | 近藤真彦×嵐×KAT-TUN | |
スニーカーぶる〜す | 52/105 | 近藤真彦×V6×ジャニーズWEST | |||
ブルージーンズ メモリー | 53/105 | 近藤真彦×Sexy Zone×A.B.C-Z | |||
ハイティーン・ブギ | 54/105 | 近藤真彦×SMAP×Kis-My-Ft2 | |||
ケジメなさい | 55/105 | 近藤真彦×NEWS×Hey! Say! JUMP | |||
愚か者 | 56/105 | 近藤真彦×TOKIO×関ジャニ∞ | |||
千年恋慕 | 57/105 | 近藤真彦×KinKi Kids×滝沢秀明 | |||
2015年 | 第44回 (第1夜) |
ハイティーン・ブギ | 21/79 | 近藤真彦×綾小路翔 | |
北街角 | 22/79 | 近藤真彦×横山剣 | |||
大人の流儀 | 23/79 | ||||
2017年 | 第46回 (第1夜) |
ミッドナイト・シャッフル | 67/70 | 近藤真彦 with FNSマッチバンド | |
ハイティーン・ブギ | 68/70 | ||||
軌跡 | 69/70 |
2014年12月3日放送の『2014 FNS歌謡祭』では、自身のデビュー35周年を記念としたスペシャル企画して、ジャニーズ事務所の後輩であるSMAP、TOKIO、KinKi Kids、V6、嵐、滝沢秀明[注 2]、NEWS、関ジャニ∞、KAT-TUN、Hey! Say! JUMP、Kis-My-Ft2、Sexy Zone、A.B.C-Z、ジャニーズWESTの14組70人とのそれぞれのコラボレーション(共演)でスペシャルメドレーを披露した(披露曲は上記参照)。
2017年12月6日放送の『2017 FNS歌謡祭 第1夜』では、自身初の試みとなるスペシャル企画として、自身がボーカルで、ギター・高見沢俊彦(THE ALFEE)、ギター・城島茂(TOKIO)、ベース・丸山隆平(関ジャニ∞)、ドラムス・大倉忠義(関ジャニ∞)、ギター・山本彩(NMB48)、キーボード・武部聡志による番組限定の一夜限りのスペシャルバンドを結成してスペシャルメドレーを披露した(披露曲は上記参照)。
年 | チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1994年 | TEAM TAISAN | ポルシェ・962C | GT1 | FSW | SEN | FSW 1 |
SUG | MIN 3 |
9位 | 32 | |||
1995年 | フェラーリ・F40 | GT1 | SUZ 11 |
FSW | 15位 | 16 | |||||||
ポルシェ・911 | SEN 3 |
FSW 9 |
SUG 1 |
MIN 9 |
|||||||||
1996年 | NISMO | 日産・スカイラインGT-R | GT500 | SUZ 6 |
FSW Ret |
SEN 17 |
FSW 5 |
SUG 3 |
MIN 10 |
11位 | 27 | ||
1997年 | GT500 | SUZ 5 |
FSW Ret |
SEN 14 |
FSW 9 |
MIN Ret |
SUG Ret |
19位 | 10 | ||||
1998年 | Xanavi Racing with NISMO Jr. | 日産・シルビア | GT300 | SUZ 4 |
FSW C |
SEN 2 |
FSW Ret |
TRM 14 |
MIN Ret |
SUG 4 |
6位 | 35 | |
1999年 | cdmaOne TOYOTA TEAM CERUMO with Key's | トヨタ・スープラ | GT500 | SUZ 8 |
FSW 6 |
SUG 8 |
MIN Ret |
FSW Ret |
TAI 11 |
TRM 15 |
16位 | 12 | |
2000年 | GT500 | TRM 11 |
FSW Ret |
SUG 16 |
FSW 19 |
TAI 13 |
MIN Ret |
SUZ 10 |
23位 | 1 | |||
2001年 | TOYOTA TEAM CERUMO WITH UKYO | GT500 | TAI 12 |
FSW 14 |
SUG 13 |
FSW 14 |
TRM 9 |
SUZ Ret |
MIN 13 |
24位 | 2 | ||
2002年 | TOYOTA TEAM CERUMO | GT500 | TAI 15 |
FSW | SUG 9 |
SEP 7 |
FSW 16 |
TRM 12 |
MIN 11 |
SUZ 13 |
21位 | 6 |
年 | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1995年 | NAVI CONNECTION RACING TEAM | SUZ | FSW | MIN | SUZ 10 |
SUG 10 |
FSW Ret |
TOK 9 |
FSW 13 |
SUZ 12 |
NC | 0 | |
1996年 | SUZ Ret |
MIN 9 |
FSW 16 |
TOK 14 |
SUZ Ret |
SUG Ret |
FUJ 14 |
MIN | SUZ Ret |
FSW 6 |
17位 | 1 | |
1997年 | TEAM TMS | SUZ 15 |
MIN Ret |
FSW 12 |
SUZ 14 |
SUG 8 |
FSW 14 |
MIN Ret |
TRM 13 |
FSW 11 |
SUZ Ret |
NC | 0 |
1998年 | SUZ 9 |
MIN 8 |
FSW 11 |
TRM 10 |
SUZ 7 |
SUG 8 |
FSW C |
MIN 7 |
FSW 7 |
SUZ Ret |
NC | 0 | |
1999年 | MIRAI | SUZ Ret |
TRM 13 |
MIN Ret |
FSW | SUZ | SUG | FSW | MIN | TRM | SUZ | NC | 0 |
2000年 | Olympic KONDO Racing Team | SUZ 7 |
TRM 14 |
MIN Ret |
FSW 13 |
SUZ 13 |
SUG 7 |
TRM Ret |
FSW Ret |
MIN 11 |
SUZ 10 |
NC | 0 |
年 | チーム | シャシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1988年 | IMPUL | ラルト・RT32 | 日産 | SUZ | FSW | SUZ | TSU | NIS | SUZ | SEN | SUZ | NIS DNQ |
SUZ 21 |
NC | 0 |
1989年 | ラルト・RT33 | SUZ 22 |
FSW DNQ |
SUZ DNQ |
TSU DNQ |
SUG | TSU DNQ |
SUZ 21 |
NIS DNQ |
SUZ 22 |
SUZ 26 |
NC | 0 | ||
1990年 | NISSEKI IMPUL | ラルト・RT34 | 無限・MF204 | SUZ 10 |
FSW 12 |
SUZ 21 |
TSU DNQ |
SEN 17 |
SUG | TSU | SUZ DNQ |
NIS DNQ |
SUZ 19 |
NC | 0 |
1991年 | ラルト・RT35 | SUZ 15 |
FSW | SUZ DNQ |
TSU 10 |
SEN 18 |
MIN DNS |
TSU DNQ |
SUG Ret |
SUZ 23 |
SUZ DNQ |
NC | 0 | ||
1992年 | CHERENA RACING | SUZ 16 |
TSU DNQ |
FSW Ret |
SUZ Ret |
SEN 15 |
TAI 11 |
MIN 11 |
SUG Ret |
SUZ 17 |
SUZ 22 |
NC | 0 | ||
1993年 | HOSHINO RACING | ラルト・RT36 | SUZ Ret |
TSU 13 |
FSW | SUZ | SEN | TAI | MIN | NC | 0 | ||||
QueenS Landカントリー倶楽部 with HOSHINO RACING | トムス・033F | トヨタ・3S-G | SUG Ret |
SUZ 12 |
SUZ 12 |
年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1994年 | ADA チーム ニッポン チーム ニッポン |
原田淳 吉川とみ子 |
ポルシェ・962C GTi | LMP1 /C90 |
189 | NC | NC |
1995年 | ニッサン・モータースポーツ | 福山英朗 粕谷俊二 |
日産 NISMO・GT-R LM | GT1 | 271 | 10位 | 5位 |
1996年 | 鈴木亜久里 影山正彦 |
GT1 | 209 | DNF | DNF | ||
2000年 | テレビ朝日 チーム・ドラゴン | 土屋圭市 飯田章 |
パノス・LMP-1 ロードスター-S | LMP900 | 340 | 8位 | 7位 |
2001年 | バイパー チーム・オレカ | 荒聖治 ニ・アモリム |
クライスラー・LMP | LMP900 | 243 | DNF | DNF |
2002年 | KONDO Racing Team | イアン・マッケラーJr. フランソワ・ミゴール |
童夢・S101-ジャッド | LMP900 | 182 | DNF | DNF |
2003年 | 片山右京 福田良 |
童夢・S101-無限 | LMP900 | 322 | 13位 | 8位 |
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