西笑承兌
戦国時代から江戸初期にかけての僧 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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西笑 承兌(さいしょう〈せいしょう〉 じょうたい、天文17年〈1548年〉 - 慶長12年12月27日〈1608年2月13日〉)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての臨済宗の僧。相国寺承兌、兌長老[1]とも呼ばれる。号は月甫、南陽[2]。
山城国伏見(京都市伏見区)の人。豊臣政権の顧問的役割を務め[3]、諸法度や外交文書の起草、学問奨励策や寺社行政の立案や、寺社訴訟の取り扱い、法要などの仏事の運営に重要な役割を果たした。