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柔道の手技 ウィキペディアから
肩車(かたぐるま)は、柔道の投げ技の手技16本の一つ。投の形の手技の3本目にある。講道館や国際柔道連盟 (IJF) での正式名。IJF略号KGU。
前に相手の重心を崩しながら、相手の前にもぐりこむ。引き手を肩の上で引き込みながら、相手の股の間に釣り手を持っていた手を入れ、肩の上に乗せるように持ち上げる。引き手を引き込むような感じで相手の体を回転させ背中から落とす。レスリングの技ファイヤーマンズキャリー(飛行機投げ)とほぼ同形である。
あまり早く引き込みすぎると崩しが不十分になる。腰を曲げて背中に乗せてしまうと落とすことは出来ないし、そもそも「肩」車ではない。そのため膝を曲げ腰に力を集中させ、背筋を伸ばすことが肝心要である。
背負投の連携技として使うとリスクがかなり大きいが、双手刈や朽木倒などの技とは相性が良い。
以前は日本国内で使用する選手はほとんどいなかったが、1995年あたりから86 kg級の世界チャンピオンだった中村佳央が積極的に用いるようになり、その後は軽量級、中量級の選手を中心にこの技を使用する選手がよく見られるようになった。体格の大小を問わず有効であり、覚えるのも簡単である。
嘉納が福田の道場でいつも乱取りを取る福島兼吉という男にどうしても勝てず、相撲の技を覚えたら勝てると思った嘉納は、当時二段目の力士だった内山喜惣右衛門という男に習ったがそれでも勝てず終いだった。そこで遂には、西洋の技を取り入れようと上野の図書館でいろいろ調べたところ現代の肩車の応用のような技を見出した。そして、嘉納は大学の友達を捕まえては投げてみると面白いように技が掛かる。何度も繰り返し練習した嘉納はついに福島の大きな体を投げ倒すことが出来たという[1]。
一説には、「サンボから逆輸入した。」という説もあるが、嘉納は西洋の何という技法から肩車を編み出したのかは明らかにしていない。しかし、西洋でなくとも日本の柔術にも肩車の原型は存在していた。
肩車の名手で有名な神田久太郎九段が戸塚楊心流の絹担を改良して肩車を開発したとされる。
国際柔道連盟は2009年にルール改正し、肩車の使用に制限が加えられた。相手が組み手争いから肩越しに逆側の背部を掴んできたような場合や、返し技、連続技の一つとして使うことは問題ないとした[2]。最近は脚取り禁止の新ルールに抵触しないように、脚を取らずに相手の懐に潜り込む変則の肩車がよく使用される傾向にある[3]。ただし、このスタイルの肩車は最近開発された技術ではなく、欧米ではラーツ・ドロップと呼ばれ大分前から知られていた技だった。1990年代前半に活躍していたベルギーのラーツ兄弟(65 kg級のフィリップ・ラーツと78 kg級のヨハン・ラーツ)がこのスタイルの肩車を得意にしてよく使っていたことからそう呼ばれていた[4]。なお、同じく1990年代に活躍していたジョージアの60 kg級の選手であったゲオルギ・ワザガシビリもこのラーツ・ドロップとよく似た技を度々使っていた[5]。また、この脚を掴まないスタイルの肩車は、横落や谷落と見なされる場合もある[6]。
そして、のちに返し技、連続技として使うことも反則となった。
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