織田信富
ウィキペディアから
ウィキペディアから
織田 信富(おだ のぶとみ)は、江戸時代中期の大名。上野国小幡藩6代藩主。通称は主膳、靭負。官位は従五位下・和泉守。
4代藩主・織田信就の七男として誕生。初名は長英。
5代藩主の兄信右の長男であった信賁の死去に伴い、宝暦7年(1757年)12月11日、信右の養子となった。宝暦8年(1758年)3月1日に9代将軍・徳川家重に御目見し、12月18日に従五位下和泉守に叙任された。宝暦9年(1759年)11月11日、信右の隠居により家督を継いだ。宝暦11年(1761年)8月11日、藩主として初めてお国入りを許可される。明和元年(1764年)6月7日死去、享年42。
兄たちと同様に病弱な上[1]、正室、子女ともになかった。丹波国柏原藩分家の高家旗本・織田信栄の四男・信邦が末期養子として家督を継いだ。
正室・子女ともになし
父母
養子、養女
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.