結城氏広
ウィキペディアから
ウィキペディアから
宝徳3年(1451年)、11代当主・結城氏朝の子・結城長朝の子として誕生。
寛正3年(1463年)、13代当主・結城成朝が多賀谷氏家の弟・朝経に暗殺されると、朝経は結城基景(山川景貞の子)の擁立を図るが、基景が19歳で急死したために、かつて成朝との家督争いに敗れた成朝の兄・長朝の子である氏広が擁立された。
享徳3年(1455年)からの享徳の乱で古河公方・足利成氏と関東管領・上杉氏とが対立すると、結城氏は成氏方に味方し、当主である氏広も成氏方の将として転戦し、古河城が一時陥された際は、千葉孝胤・那須資実らと共に成氏に協力し、古河城回復を援護している。しかし、多賀谷氏や山川氏、水谷氏が独立色を強めた活動をしたため、家中の統一が図れないまま、文明13年(1481年)に死去。享年31。
家督は子・政朝が継いだ。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.