紫雲丸事故
日本の水難事故 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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紫雲丸事故(しうんまるじこ)は、日本国有鉄道(国鉄)の宇高連絡船紫雲丸が1947年(昭和22年)6月9日の就航から、8年間に5度にわたって起こした事故の総称である。なお、そのうち2件は死亡者を発生させた。また、その中でも最大の被害を出した1955年(昭和30年)5月11日の5回目の事故を指す場合が多い。
前年の青函連絡船洞爺丸事故に続き、5度目の事故が社会に与えた影響は特に大きく、国鉄による鉄道連絡船の安全基準が大幅に見直されたり、海上保安部による停船勧告基準が厳しくなるなどされ、またその後の瀬戸大橋建設の機運を一気に高めた。船の名前は高松市にある「紫雲山」に因んでいる。5回目の事故後、船は「瀬戸丸」と改称されて復旧したが、1960年(昭和35年)に「中央栄丸」と衝突して「中央栄丸」が沈没している。