紀元前1500年代
- 紀元前1504年 - 1429年 - エジプトがヌビアと地中海の沿岸を征服。
- 紀元前1500年頃
- 紀元前1500年以降 - ヒッタイト王テリピヌが死去、ヒッタイト古王国時代が終わる。
- 死後後継者争いが起こり、ヒッタイト中王国時代と呼ばれる記録の乏しい時代が続く。
紀元前1490年代
- 紀元前1490年 - 1465年頃 - アララハ王イドリミ(英語版)の治世。
- アララハはトルコのハタイ県にあった小王国で、イドリミは「ハビル(英語版)」という集団の支持を得て王となった人物。
- テル・アチャナ(英語版)遺跡からはイドリスの肖像彫刻(ルーヴル美術館蔵)が出土、それに付随した碑文には王の事績録が残っていた。
紀元前1470年代
- 紀元前1479年頃 - エジプトでトトメス2世が死去。
- 紀元前1475年頃 - カッシート王ウラム・ブリアシュ(英語版)が海の国第1王朝(バビロン第2王朝)を滅ぼしバビロニアを統一。
- 紀元前1470年頃 - ハトシェプストによるプント交易(香料交易の道(英語版)の開拓)。
- ソマリアにあったプントは香料(乳香・没薬)の産地として知られていた。
- プント王パラフと王妃アティの肖像もハトシェプスト葬祭殿壁画に残っている。
紀元前1450年代
- 紀元前1458年頃 - ハトシェプストが死去。
- トトメス3世の単独統治が始まり、記念碑からハトシェプストの記録は抹消される。
- 紀元前1457年頃 - メギドの戦い。
- トトメス3世率いるエジプト軍とカデシュ王率いるカナン連合軍とが戦う。
- 紀元前1450年頃
- クレタ島のミノア文明は新宮殿時代末期。
- クノッソス宮殿の女性壁画「パリジェンヌ(英語版)(La Parisienne イラクリオン考古学博物館蔵)」がこの時代のもの( - 紀元前1350年)。
- ミケーネ文明のコイネー期( - 紀元前1250年頃)、ギリシア各地が征服され、アナトリアまで進出。
- この時期までにギリシャ本土からクレタ島を含むエーゲ海諸島の王宮で線文字Bが使用され始める。
- エジプト王トトメス3世がキプロス島を支配下に置く。
- キプロスはこの当時アラシア(英語版)と呼ばれ銅の生産地として有名であり、後にキプロス(Cyprus)は「銅(copper)」の語源となった。
- エジプト王トトメス3世がヌビアを制圧。
- トゥドハリヤ1世が即位しヒッタイトは新王国時代を迎える。
- この時期ヒッタイトは、ミタンニ・カシュカ・アルザワ・アヒヤワ・アシュワと戦い領土を拡大。
紀元前1440年代
- 紀元前1440年代 - 1420年代 - 『出エジプト記』ではモーセが迫害に苦しむイスラエルの民を率いてエジプトを脱出(有力説の一つ)。
- 紀元前1440年代 - アルザワ(英語版)最古の王クパンタ・クルンタ(英語版)に関するヒッタイト系資料の記録が残る。
- アルザワはアスワ連合(英語版)の後継国家で、アナトリア西部を基盤とし、アパサ(後年のエフェソス)を都としていた国家。
紀元前1420年代
- 紀元前1427年頃 - エジプト王アメンホテプ2世が即位( - 紀元前1401年)。
紀元前1400年代
- 紀元前1401年頃 - エジプト王トトメス4世が即位( - 紀元前1391年)。
- ヒッタイトに対抗するためミタンニと同盟を結び、ミタンニ王アルタタマ1世王の王女と結婚する。
- 「夢の碑文」によるとこの王のもとで砂に埋もれていたギザの大スフィンクスが掘り起こされ修復される。
- 紀元前1400年代末 - 「デンドラの鎧(英語版)(ナフプリオン考古学博物館(英語版))」が作られる。
- ハトシェプスト - エジプト第18王朝の女性ファラオ(在位前1479年頃 - 前1458年頃)
- トトメス3世 - エジプト第18王朝のファラオ(在位前1479年頃 - 前1425年頃)
- サウシュタタル - ミタンニの王(在位前1440年頃 - 前1410年頃)
- トゥドハリヤ1世 - ヒッタイトの王(紀元前15世紀後半)
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