紀元前1370年代
- 紀元前1373年3月27日 - 甲骨文から殷の盤庚の治世中の支配地域において、月食があった事が確認されている。
紀元前1350年代
- 紀元前1350年頃
- エジプトでアメンホテプ3世が死去。息子のアメンホテプ4世(アクエンアテン)が即位。
- 父王アメンホテプ3世の后となる予定だったミタンニ王トゥシュラッタの娘タドゥキパ(英語版)がアメンホテプ4世の后となる。
- エジプトのテーベの神官であるネブアメンの墓が作られる(墓の壁画は大英博物館その他が所蔵)。
- トルコ南部アンタルヤ県のウルブルン岬で交易船が沈没する(ウルブルン沈没船(英語版))。
- この沈没船の船体は1982年に発見され、現時点では世界最古の沈没船とされている。
- ヒッタイト王シュッピルリウマ1世がミタンニの都ワシュカンニを攻撃。
- ミタンニは敗走し、その途中でトゥシュラッタ王は息子の一人に殺される。
- この混乱でヒッタイトはアルタタマ2世を、アッシリアはシュッタルナ3世をミタンニの新王に擁立し対立。
- ヒッタイトがアッシリアに勝利しミタンニの新王シャッティワザを擁立し条約を締結。
- イズミル近郊のカラベル峠にある象形文字ルウィ語の「カラベルの石碑(英語版)」が建てられる。
- ここに刻まれていた人物像は現在アルザワ系ミラの王タルカスナワ(英語版)であると考えられている。
紀元前1340年代
- 紀元前1346年頃 - アメンホテプ4世の宗教改革が始まる。王は自らアクエンアテン(イクナートン)に改名する。
- 紀元前1343年頃 - エジプトの都がテーベからアマルナに遷される。
紀元前1320年代
- 紀元前1325年頃 - ツタンカーメン死去。残された王妃アンケセナーメンと結婚した王族のアイが即位。
- ツタンカーメンは王家の谷の陵墓に埋葬される。その陵墓は1922年のハワード・カーター発掘までほとんど盗掘をされていなかった。
- アンケセナーメンは結婚が確定する前にその相手としてヒッタイト王子ザンナンザの派遣を依頼するが、その途上でザンナンザは暗殺される。
- 紀元前1320年頃
- エジプトからの疫病によりヒッタイト王シュッピルリウマ1世が死去。息子のアルヌワンダ2世が即位。
- アナトリア西部のアルザワ(英語版)国がアヒヤワ(英語版)国と反ヒッタイト同盟を締結。
紀元前1300年代
- 紀元前1300年代後半 - ブルガリアの「ヴァルチトランの遺宝(英語版)」が埋蔵される( - 紀元前1200年代前半)。
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