第2次ミハイル・フラトコフ内閣
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第2次ミハイル・フラトコフ内閣(ロシア語: Второе правительство Фрадкова)は、ロシア連邦の内閣。約2ヶ月続いた第1次ミハイル・フラトコフ内閣から引き継いで組閣された。ミハイル・フラトコフ首相によって2004年5月12日から2007年9月12日までの約3年4ヶ月の間率いられた[1]。
![Thumb image](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/18/Mikhail_Fradkov_%28Bras%C3%ADlia%2C_04_April_2006%29.jpeg/200px-Mikhail_Fradkov_%28Bras%C3%ADlia%2C_04_April_2006%29.jpeg)
ウラジーミル・プーチン大統領は2004年5月7日に議会の承認を得て大統領2期目に突入し、5月12日に首相のフラトコフが議会の承認を得、大統領によって指名された。また、他の17人の大臣は5月20日に議会の承認を得た。首相と17人の大臣は第一次内閣と同じ顔ぶれであり、唯一情報・通信大臣に就いたレオニード・レイマンのみが新任となった。8人の大臣はさらに以前のミハイル・カシヤノフ内閣でも同じ役についていた。