第一次イタリア戦争
フランス王シャルル8世の軍事侵攻(1494年–1495年) / ウィキペディア フリーな encyclopedia
第一次イタリア戦争(だいいちじイタリアせんそう)は、ローディの和によって五大国時代を迎えていた近世イタリアにおいて、イタリア半島の掌握を目指して行われたフランス王シャルル8世による軍事侵攻を指す。
概要 第一次イタリア戦争, 時 ...
第一次イタリア戦争 | |||||||
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イタリア戦争中 | |||||||
シャルル8世の軍勢 | |||||||
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衝突した勢力 | |||||||
1494年: ナポリ王国 1495年: ヴェネツィア同盟 教皇領 ヴェネツィア共和国 ナポリ王国 スペイン王国 ミラノ公国 神聖ローマ帝国 フィレンツェ共和国 | |||||||
指揮官 | |||||||
シャルル8世 オルレアン公 モンパンシエ伯 ルイ・ド・ラ・トレモイユ |
フェルディナンド2世 フェデリーコ フェルナンド2世 フランチェスコ2世・ゴンザーガ | ||||||
戦力 | |||||||
2万5000人[1] | 不明 | ||||||
被害者数 | |||||||
1万3000名[1] | 不明 | ||||||
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中央集権によって大国化に成功したフランスは2万名以上の大軍を動員して有利に戦ったが、イタリア諸侯の激しい抵抗が始まると次第に苦戦を強いられた。最終的に神聖ローマ帝国・スペイン王国の援助を受けたイタリア諸侯軍によってフランス軍は撃退され、シャルル8世は本国に逃げ帰った。シャルル8世の目論みは失敗したが、以降イタリア諸侯の支配権を巡る戦い(イタリア戦争)が継続する事になる。