![cover image](https://wikiwandv2-19431.kxcdn.com/_next/image?url=https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b0/%25E9%2587%259C%25E6%2595%25B7%25E6%25A2%2585%25E9%2589%25A2.jpg/640px-%25E9%2587%259C%25E6%2595%25B7%25E6%25A2%2585%25E9%2589%25A2.jpg&w=640&q=50)
竹本蟠龍軒
ウィキペディア フリーな encyclopedia
竹本 蟠龍軒(たけもと ばんりゅうけん)は、義太夫節の太夫の名跡(軒号)。江戸中期より三代を数える。初代蟠龍軒と二代目蟠龍軒の親子が、竹本津太夫を名乗った後に、素人として名乗った名跡(軒号)。三代目蟠龍軒は、初代蟠龍軒の孫であり二代目蟠龍軒の息子である三代目竹本津太夫=七代目竹本綱太夫の門弟であることから、竹本綱太夫系の名跡(軒号)として知られる。また、二代目は蟠龍軒席の席亭を勤めていた[1]。定紋は、初代・二代目が釜敷梅鉢、三代目が抱き柏。竹本蟠竜軒とも表記するが[1]、竹本幡龍軒は誤りである。
![Thumb image](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b0/%E9%87%9C%E6%95%B7%E6%A2%85%E9%89%A2.jpg/640px-%E9%87%9C%E6%95%B7%E6%A2%85%E9%89%A2.jpg)
京都大谷本廟内の本寿寺に竹本蟠龍軒の墓が存在し、紋は抱き柏が彫られている。側面に「明治十九年十月 吉田亀助建立」とあることから、年代的に三代目のものとも考えられるが、京都の寺であることから、初代・二代目の供養塔とも考えられる。
![Thumb image](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e8/%E7%AB%B9%E6%9C%AC%E8%9F%A0%E9%BE%8D%E8%BB%92%E5%A2%93.jpg/640px-%E7%AB%B9%E6%9C%AC%E8%9F%A0%E9%BE%8D%E8%BB%92%E5%A2%93.jpg)
![Thumb image](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1c/%E7%AB%B9%E6%9C%AC%E8%9F%A0%E9%BE%8D%E8%BB%92%E5%A2%93%28%E5%81%B4%E9%9D%A2%29.jpg/640px-%E7%AB%B9%E6%9C%AC%E8%9F%A0%E9%BE%8D%E8%BB%92%E5%A2%93%28%E5%81%B4%E9%9D%A2%29.jpg)