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日本の女子プロゴルファー ウィキペディアから
神奈川県横浜市港南区出身。父親は横浜大洋ホエールズ、広島東洋カープで活躍した捕手・福嶋久晃。妹はプロゴルファーの福嶋浩子。出身中学は横浜市立丸山台中学校。白鵬女子高等学校卒業。NEC所属。
長年にわたり、日本を代表する女子プロゴルファーの1人として活躍してきた。これまでに日本女子プロゴルフツアーで24勝を挙げ、アメリカツアーでも2度の優勝がある。
10歳からゴルフを始める。アマチュア時代には、1988年の「関東ジュニアゴルフ選手権」を皮切りに28個のタイトルを獲得し、1992年の全米女子オープンで29位に入ったこともある。同年8月の女子プロゴルファーテストに合格。1994年の「ダイキンオーキッドレディスゴルフトーナメント」で女子ゴルフツアー公式戦に初優勝を飾る。1996年と1997年の2年連続で、日本女子プロゴルフツアーの賞金女王(賞金ランキング1位)に輝いた。
1998年には年間2勝を挙げたが、3年連続の賞金女王を逃した。その後、アメリカ女子ゴルフツアー(LPGA)の「クオリファイイング・スクール」(通称 Q-School, シード権獲得への出場資格試験)を5位で通過し、1999年からアメリカツアーに戦場を移した。この年に「フィリップス・インビテーショナル」と「AFLACチャンピオンズ」で米国女子ツアーに2勝を挙げる。
2002年3月にクラフト・ナビスコ選手権で5位入賞を果たし、女子メジャー大会の自己最高成績を出した。しばらく日米のツアーを掛け持ちで参戦していたが、2005年度は日本女子ツアーに絞った。10月の日本女子オープンゴルフでは人気者の宮里藍に注目が集まる中、福嶋は宮里との同組ラウンドで5打差の2位に入った。
2006年は安定したプレーが続き、9月のマンシングウェアレディース東海クラシックで2年ぶりの優勝を飾ると、10月には樋口久子IDC大塚家具レディスで優勝。深刻な腰痛に悩まされていたが、元広島カープのトレーナーの種田博人の治療により症状が改善[1]。2007年、2008年と連続して年間2勝を挙げた。
しかし、2010年のCATレディースを最後に優勝から遠ざかる。2012年は賞金ランキング96位でシーズンを終え、シード権を喪失した。
2021年6月、国内女子レジェンズツアーのJLPGAレジェンズチャンピオンシップ CHOFUカップでシニアツアー初優勝を果たした。
太字は米国
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