真崎甚三郎
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真崎 甚三郎(まさき じんざぶろう、旧字体:眞崎 甚三郞、1876年(明治9年)11月27日 - 1956年(昭和31年)8月31日)は、日本の陸軍軍人。陸軍士官学校9期、陸軍大学校19期。最終階級は陸軍大将。栄典は正三位勲一等功四級[2]。
概要 真崎(まさき) 甚三郎(じんざぶろう) 眞崎 甚三郞, 渾名 ...
眞崎 甚三郞 | |
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渾名 | 「甚チャン」[1] |
生誕 |
1876年11月27日 日本・佐賀県 |
死没 | (1956-08-31) 1956年8月31日(79歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1898年 - 1936年 |
最終階級 | 陸軍大将 |
墓所 | 神埼市の妙専寺 |
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荒木貞夫と共に皇道派の頭目の一人。皇道派青年将校が起こした二・二六事件においては、犯人らの主張に沿って収束を図ったが、昭和天皇の強い反発を招き失敗した。事件後に設けられた軍法会議においては無罪となった。真崎の事件への関与の度合いについては意見が分かれている。