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登坂 秀(とさか しげる、1923年(大正12年)7月15日[1] - )は、日本の政治家。渋川市長を務めた。群馬県出身。
東京高等農林学校(現・東京農工大学)農学科卒業後、1943年に農林省に入省。
1973年、渋川市収入役に就任。1981年、渋川市長選挙に立候補し初当選を果たす。1985年、渋川市長選挙に出馬し2回目の当選。1989年、渋川市長選挙に出馬し3回目の当選。1993年、渋川市長選挙に出馬し4回目の当選。1997年、渋川市長選挙に出馬し5回目の当選。連続5期20年間にわたって渋川市長を務めた。2000年、渋川市とイタリア共和国ウンブリア州フォリーニョ市との姉妹都市提携を実現した。2001年、木暮治一を事実上の後継として、政界を引退した。
2023年7月、100歳を迎えたため、現市長の高木勉の訪問を受けた[2]。
上記のほかに、群馬県市長会長、群馬県市町村職員共済組合理事長、群馬県農業共済組合連合会長、渋川地区広域市町村圏振興整備組合理事長などの要職を歴任した。
「日本のまんなか緑の渋川」というフレーズを考案し、渋川市を「へその町」として売り出し、「渋川へそ祭り」の開催を推進した。また、渋川市への日本シャンソン館の誘致や渋川市美術館、桑原巨守彫刻美術館の設立にも貢献した。さらに、埼玉県加須市及び本庄市との災害時相互応援協定を締結し、渋川市の安全安心都市の礎を築いた。
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