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熊本県熊本市北区の地名 ウィキペディアから
田原坂公園はツツジや桜の名所として知られる。園内には西南戦争時の激戦の跡を遺した資料館があり、往時の戦いを知ることができる。また近くに官軍墓地がある。民謡はこの戦いを歌ったもので日露戦争当時に士気高揚のため作られた。またこの場所は金峰山県立自然公園に指定されており、2013年3月には「西南戦争遺跡」の一部として国の史跡に指定された。
映画『ラスト サムライ』のクライマックスの峡谷は、田原坂・吉次峠の戦いがモデルになったと思われ、劇中の風景が田原坂に似ている。
西南戦争を歌った民謡・俗謡として、「田原坂(豪傑節)」「豪傑節(新豪傑節)」がよく知られている。
両者は文句が共通で、節が異なる。大正期に熊本留吉がレコードの両面に吹き込んだのが最初で、当初は括弧内のタイトルを用いていた。タイトルの通り「田原坂(豪傑節)」が元唄で、「豪傑節(新豪傑節)」は元唄を三弦調にアレンジしたものである。その後、「田原坂(豪傑節)」は美ち奴、赤坂小梅等がレコード化し全国的に知られたが、一般に「豪傑節(新豪傑節)」の方がより流行し山村豊子、赤坂小梅、新橋喜代三など多くの歌手がレコード化している。戦後には「豪傑節(新豪傑節)」をモチーフに作られた「雨の田原坂」という歌謡曲も作られ、神楽坂はん子がレコード化してヒットした。また昭和40年代には、元は速いテンポで唄われていた「田原坂(豪傑節)」のテンポをやや落としてはずんだリズムにし、音頭風のアレンジを施した「田原坂」を赤坂小梅がレコード化し、盆踊りや市街地の流し踊り等で盛んに流され流行した。
「田原坂(豪傑節)」
※留吉や美ち奴のレコードでは「アラ」を挿入して唄っているが、赤坂小梅の音頭調のアレンジでは「アラ」を省いて唄っている。
「豪傑節(新豪傑節)」
※以下、歌詞は共通。
戦前には「隊長さん節」という俗謡も流行し、山村豊子、赤坂小梅らによってレコード化された。小梅は、隊長さん節に新豪傑節を接続して唄った音源も残しており、「豪傑節」のタイトルで発売している。
「隊長さん節」
(囃子)今度の戦争にゃどうでも行こたい 行かなきゃおいらの身が立たぬ アラショカショカネ どうしょか隊長さん
(囃子)間ただ一発だね どうしょか隊長さん ショカショカドンドン
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