瑞鶴 (空母)
大日本帝国海軍の大型正規空母 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
親愛なるWikiwand AI, これらの重要な質問に答えるだけで、簡潔にしましょう:
トップの事実と統計を挙げていただけますか 瑞鶴 (空母)?
この記事を 10 歳向けに要約してください
すべての質問を表示
瑞鶴(ずいかく、ずゐかく、ズヰカク)は、大日本帝国海軍の航空母艦[25]。翔鶴型航空母艦の2番艦[26]。艦名には「鶴」に、めでたいという意味の「瑞」をあてた。
概要 瑞鶴, 基本情報 ...
瑞鶴 | |
---|---|
1941年9月25日、神戸沖にて(竣工直後) | |
基本情報 | |
建造所 | 川崎造船所(川崎重工業)艦船工場[1] |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦種 | 航空母艦[2] |
級名 | 翔鶴型 |
建造費 | 予算 84,496,983円[3] |
母港 | 呉[4] |
艦歴 | |
計画 | 昭和12年度(1937年)、③計画[5] |
起工 | 1938年5月25日[1] |
進水 | 1939年11月27日[6] |
竣工 | 1941年9月25日[1] |
最期 |
1944年10月25日沈没 北緯19度20分 東経125度51分 |
除籍 | 1945年8月31日[7] |
要目(特記無きは計画[8]) | |
基準排水量 | 25,675英トン[9] |
公試排水量 | 29,800トン[9] |
満載排水量 | 32,105.1トン[10] |
全長 | 257.50m[9] |
水線長 | 250.00m[9] |
垂線間長 | 238.00m[9] |
水線幅 | 26.00m[9] |
深さ | 23.00m(飛行甲板まで)[9] |
飛行甲板 |
長さ:242.2m x 幅:29.0m[11] エレベーター3基[12] |
吃水 |
公試平均 8.87m[9] 満載平均 9.32m[9] |
ボイラー | ロ号艦本式缶(空気余熱器付[11])8基[13] |
主機 | 艦本式タービン(高中低圧[11])4基[13] |
推進 | 4軸[13] |
出力 | 160,000hp[9] |
速力 |
計画:34.0kt[9] 1944年5月調査:34.23kt[14] |
燃料 |
計画:重油 5,000トン[9] 1944年5月調査:重油 5,069トン[14] |
航続距離 |
計画:9,700カイリ / 18ノット[9] 1944年5月調査:11,798カイリ / 18ノット[14] |
乗員 |
計画乗員:1,660名[15] 最終時:1,712名[要出典] |
搭載能力 |
九一式魚雷 45本[16] 爆弾 800kg90個、250kg306個、60kg540個[17] 飛行機用軽質油 745トン[10] |
兵装 |
|
搭載艇 | 12m内火艇3隻、12m内火ランチ3隻、8m内火ランチ1隻、9m救助挺2隻、6m通船1隻、13m特型運貨船2隻[12] |
搭載機 | |
レーダー | 1944年7月:21号電探2基、13号電探1基[19] |
ソナー |
仮称九一式四号探信儀1組(後日装備)[21] 零式水中聴音機2組(1944年7月に1組から2組へ増設)[22][23] |
その他 | 着艦識別文字: ス[24] |
テンプレートを表示 |
閉じる
日本の太平洋戦争(大東亜戦争)突入後、真珠湾攻撃、セイロン沖海戦、珊瑚海海戦、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦、マリアナ沖海戦等の海戦に参加し、姉妹艦の翔鶴と共に日本海軍の主力艦として活躍したが[27]、翔鶴と対照的に、マリアナ沖海戦まで一発も被弾しなかった幸運艦であった[28][注釈 1]。翔鶴沈没後の1944年(昭和19年)10月25日、レイテ沖海戦のエンガノ岬沖海戦で沈没。
瑞鶴は翔鶴とともに日本の軍艦では初の球状艦首を採用して高速化が図られ、防御力も炸薬450キロの魚雷の直撃にも耐えられるように設計された[30]。