胡粉古因辰、韶諸郡專造,古曰韶粉(俗誤朝粉)」とあり、現在の中国甘粛省涇川縣 、 広東省の韶関市製造「鉛粉」を指した。また、1763年、平賀国倫編の『物類品隲巻一』の「粉錫」を要約すると、「白粉、胡粉とも言い、方書(ほうがき:方法の書、処方箋)では白粉、画には蛤粉を用い、『芥子園画伝』には昔の人は蛤粉を
平賀源内城福勇『平賀源内の研究』(創元社、1976年) 松井年行『物類品騭の研究』美巧社、2019年。ISBN 978-4-86387-117-5 芳賀徹『平賀源内』ちくま学芸文庫 ハ-59-1、2023年。ISBN 978-4-48051-201-7 平賀源内記念館、平賀源内先生遺品館 - 香川県さぬき市志度 発明品
中川淳庵早くから本草学方面へ興味を持ち、田村藍水門下に学んだ。宝暦7年(1757年)の田村一門の物産会に参加。 宝暦13年(1763年)、平賀源内発行の『物類品隲』(ぶつるいひんしつ)の校閲をしている。 宝暦14年(1764年)の源内による火浣布創製、明和2年(1765年)の寒暖計にも協力した。
大和本草いる。『本草綱目』は他の歴代本草と異なり、その基底に博物学的思考があり、構成と内容の清新さが受け入れられ日本でも権威をもつに至っていた。平賀源内『物類品隲(ぶつるいひんしつ)』(宝暦13年、1763年)や小野蘭山『本草綱目啓蒙』(享和3年、1803年)などは『本草綱目』の分類法に従ったが、益軒は『大
須原屋市兵衛活動は日本橋室町三丁目における宝暦12年(1762年)の建部綾足著『寒葉斎画譜』の刊行に始まる。宝暦13年(1763年)には平賀源内著『物類品隲』の版元となり、源内やその周辺の蘭学者の書を多く手がけた。安永3年(1774年)には幕府の弾圧を恐れながらも『解体新書』を刊行する。寛政4年(17