Loading AI tools
ウィキペディアから
片山 兼山(かたやま けんざん、1730年(享保15年) - 1782年5月11日(天明2年3月29日)[1])は、江戸時代中期の儒学者。兼山は号。名は世璠(せはん・せばん)。字は叔瑟。通称は東造。一字姓により山世璠とも名乗った[2]。
当初は徂徠学派に属したが、独立して折衷学派の創始者の一人となった[3]。その学問は「山子学」(さんしがく)と呼ばれ、門人は「山子学派」と呼ばれる[4]。
上野国(現在の群馬県)の農家に生まれる[6]。江戸に出て、徂徠学派の鵜殿士寧および服部南郭の門下に入る[6]。同門の秋山玉山との縁で、熊本藩に赴き藩校時習館の儒員を6年間務める[6]。江戸に戻った後、同じく徂徠学派の宇佐美灊水の養子となったが、やがて徂徠学に疑問を抱くようになり独立した[6]。
独立後は、漢宋諸家の説を折衷する立場をとり、徂徠学を否定した[1]。晩年は、尾張藩の『群書治要』校刻事業(『群書治要』天明版・尾張本)にも関与した[3]。
兼山の門人は山子学派と呼ばれる。彼らにより『荀子増注』(『荀子』の注釈書)、『呂氏一適』(『呂氏春秋』の注釈書)[4]などが著された。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.