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『無錫旅情』(むしゃくりょじょう)は、1986年9月にリリースされた歌手・尾形大作のシングルである。
1986年、中国の江蘇省無錫市は日本からの観光客誘致を考え、日本の観光業界の援助により作詞家・作曲家を無錫に招待した。中山大三郎も5日間無錫を訪れ、帰国後に書いたのがこの曲である[1]。歌詞には無錫市の情景が歌われている。
尾形大作盤は発売当時130万枚以上[2] 売れ、また中国でもカバーされ、カバー盤を含めると300万枚を超える[3]など大ヒットソングとなった。尾形の代表曲である。
この曲で尾形は、1987年の第29回日本レコード大賞金賞を受賞した。また、この曲で1987年の第38回NHK紅白歌合戦に初出場した。
オリコンシングルチャートでは、1986年9月29日付で95位と100位以内に初登場し、1988年1月18日付で100位以内初登場から69週目にして10位にランクインした[4]。
TBS系「ザ・ベストテン」では週間10位以内のランクインは成らなかったが、1987年2月12日放送の今週のスポットライトコーナー(日野美歌・葵司郎の「男と女のラブゲーム」と共に)へ生出演を果たした。
1988年度(1988年4月1日〜1989年3月31日)の日本音楽著作権協会(JASRAC)の著作権使用料分配額から推定したカラオケ歌唱回数では、本曲が推定4350万回で年間1位となった[5][6]。これは全国のカラオケ店舗数30万店、平均年間営業日数を250日で計算したものである[6]。
無錫市の太湖の湖畔にある鼈頭渚公園には、本作の中国語版の歌碑がたっている。
本曲のヒットにより、日本人の間での無錫の知名度が上がり、1980年代後半からは、無錫への日本人観光客が急増した[1]。
1988年3月に発生した上海列車事故により、日本ではこの曲の放送を自粛していた時期がある。
(歌詞の1番に、事故を起こした311列車のコースが歌われているため)
その後、作曲者である中山大三郎の直弟子だった半田浩二が、師の一周忌を追悼し、同じく尾形の持ち歌だった「大連の街から」とともに本曲をカバーし、2006年5月24日に両曲をカップリングしたシングルが発売された。
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