浜井信三
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浜井 信三(はまい しんぞう、1905年(明治38年)5月28日[1] - 1968年(昭和43年)2月26日[1])は、日本の政治家、初代の公選広島市長(在任期間・1947年 - 1955年、1959年 - 1967年。渡辺忠雄市長を1期挟み通算4期市長を務めた)。濱井信三とも(胸像の銘文では濵井)。一貫して核兵器の全面禁止を訴え、広島の父、または原爆市長と称される。
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概要 生年月日, 出生地 ...
浜井信三 | |
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生年月日 | 1905年5月28日 |
出生地 | 広島県広島市三川町 |
没年月日 | 1968年2月26日 |
死没地 | 広島市 |
出身校 | 東京帝国大学法学部法律学科 |
前職 | 広島市助役 |
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当選回数 | 4回 |
在任期間 |
1947年4月 - 1955年4月 1959年5月 - 1967年5月 |
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広島平和記念都市建設法の成立に力を注ぎ、広島市中区中島町に平和を祈念する公園(広島平和記念公園)の建設、同じく市中心部への幅員100m道路(平和大通り)の建設を打ちだし、現在の広島市の街並みの基礎を造った。