流鬼国ウィキペディア フリーな encyclopedia 流鬼国(りゅうきこく)は、7世紀ごろにオホーツク海沿岸地域に居住していた民族。唐の太宗の治世、640年(貞観14年)に1度だけ朝貢を行ったことが漢文史料に記録されている。流鬼国が、現代のいずれの民族に連なる集団であるかについては様々な説が唱えられてきたが、オホーツク文化人(現在樺太北部や黒龍江下流域に居住するニヴフ人)に当てる説がある[1][注釈 1]。 流鬼「人穴居皮服不知騎」坤輿万国全図(部分)
流鬼国(りゅうきこく)は、7世紀ごろにオホーツク海沿岸地域に居住していた民族。唐の太宗の治世、640年(貞観14年)に1度だけ朝貢を行ったことが漢文史料に記録されている。流鬼国が、現代のいずれの民族に連なる集団であるかについては様々な説が唱えられてきたが、オホーツク文化人(現在樺太北部や黒龍江下流域に居住するニヴフ人)に当てる説がある[1][注釈 1]。 流鬼「人穴居皮服不知騎」坤輿万国全図(部分)