津田信成
安土桃山時代~江戸時代前期の武将、大名。山城御牧藩主 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
津田 信成(つだ のぶなり)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。諱は高勝(たかかつ)ともいう。通称は長門守。
概要 凡例津田信成 / 高勝, 時代 ...
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 永禄5年(1562年) |
死没 | 正保2年8月20日(1645年10月9日) |
改名 | 道慶(法号) |
別名 | 高勝、元勝[1]、通称:二郎左衛門(次郎左衛門)、長門守 |
戒名 | 西方院穴山宗立居士 |
官位 | 従五位下長門守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 豊臣秀吉、秀頼→徳川家康、秀忠 |
藩 | 山城御牧藩主 |
氏族 | 津田氏(織田氏) |
父母 | 父:津田盛月(信勝) |
兄弟 | 信任、女(中川宮内少輔室)、信成 |
妻 | 高山右近の娘[2] |
子 | 女(高木貞元室[3]) |
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文禄2年(1593年)に洛外千人斬り事件で改易された兄信任の跡を継いで、後に山城国御牧藩主となったが、慶長12年(1607年)に当人も数名の大名や旗本と共に京都で狼藉に及んだかどにより改易された。『 老人雑話』によれば、大名行列で衣装や日用品を収納して従者にかつがせた挟箱(挟み箱)を考案したという[4]。