武陵郡(ぶりょう-ぐん)は、中国にかつて存在した漢代から唐代にかけて、現在の湖南省北部・湖北省南部・貴州省東部・重慶市東南部・広西チワン族自治区北東部にまたがる地域に設置された。

概要

秦の昭襄王のときに立てられた黔中郡を前身とする。

漢の高祖のとき、武陵郡が置かれた。前漢の武陵郡は荊州に属し、孱陵臨沅沅陵鐔成潕陽遷陵辰陽酉陽義陵佷山零陽の13県を管轄した。王莽のとき、建平郡と改称された[1]

後漢が建てられると、武陵郡の称にもどされた。武陵郡は臨沅・孱陵・零陽・充・沅陵・沅南・辰陽・酉陽・遷陵・鐔成・作唐の12県を管轄した[2]

のとき、武陵郡は臨沅・竜陽漢寿・沅陵・沅南・酉陽・遷陵・鐔成・潕陽・黚陽の10県を管轄した[3]

南朝宋のとき、武陵郡は郢州に属し、臨沅・竜陽・漢寿・沅陵・沅南・遷陵・辰陽・酉陽・潕陽・黚陽の10県を管轄した[4]

南朝斉のとき、武陵郡は臨沅・竜陽・漢寿・沅陵・沅南・遷陵・辰陽・酉陽・潕陽・黚陽の10県を管轄した[5]

南朝梁のとき、武陵郡は武州に属した。後に武州は沅州と改称された。

589年開皇9年)、南朝陳を滅ぼすと、武陵郡は廃止され、朗州に編入された。607年大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、朗州が武陵郡と改称された。武陵郡は武陵・竜陽の2県を管轄した[6]

621年武徳4年)、唐が蕭銑を平定すると、武陵郡は朗州と改められた。742年天宝元年)、朗州は武陵郡と改称された。758年乾元元年)、武陵郡は朗州と改称され、武陵郡の呼称は姿を消した[7]

脚注

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