権力の真空(けんりょくのしんくう、英:power vacuum, power void)とは、「何者かが事象の統制を失い、かつ誰もがそれに代わることができない」という政治的状態を真空に例えた政治学政治史における表現である[1]力の空白力の真空などとも呼ばれる[2][3]

概要

権力の真空は、政府が識別可能な中央権力権威を持たないときに発生しうる。権力の真空はまた、武装民兵・反乱者・軍事クーデター軍閥独裁者などの形で、即座にその空白を埋めようとする勢力が現れる傾向があることを示唆する。この用語は、犯罪集団の抗争力を失い脆弱になったときの組織犯罪についてもよく使用される[4]

世襲または法定による継承順位や効果的な後継者育成は、地位継承問題を秩序だって解決する手段である。独裁政治の失敗や内戦などによってそのような手段が利用不可となった場合、権力の真空が政治的競争または暴力、或いは(通常)その両方を伴う権力闘争を生じさせる。政府が大部分の地域を掌握できなくなったり廃絶されたりするなどの憲政の危機に際しては、不明瞭な承継を招く権力の真空が生じうる。

歴史上の事例

歴史上の例としては、アレキサンダー大王の死、セルジューク朝に覇権をもたらすことを許した11世紀中東普仏戦争におけるフランス敗戦ソ連におけるウラジーミル・レーニンの死、スエズ危機後の中東でのイギリスフランスの影響力低下等がある。

鄭和の大航海が行われた1405年から1433年の間、インド洋における政治的にも軍事的にも支配的な勢力であった[5]。しかし、明は1433年に大明宝船を引き上げ、インド洋に巨大な権力の空白地帯を作った[5]

現代の事例

2000年、イスラエルレバノン南部からの一方的撤退により、親イスラエルの南レバノン軍が崩壊。同軍の旧支配地域が一時的に空白地帯となり、レバノン国軍ヒズボラがこの空白地帯をめぐって争奪戦を行なった。

2003年イラク戦争では、アメリカが率いる有志連合がフセイン大統領を排除したが、政府軍に対抗しうる反政府勢力が不在であったことは、バアス党解体後も地元有力者らが空席となった行政の地位を直ちに担える状況にないことを意味した。このため、遷移の監督を目的に、ポール・ブレマーが米国政府に連合国暫定当局代表に任命された[6]

いずれも当初人道上の問題を掲げて西側諸国が介入した、1999年コソボ紛争 (アライド・フォース作戦)および2011年リビア内戦などは、既に現地で政府打倒を図る反政府軍による地上戦が行われていた(ただし、コソボの場合は、政府の打倒というよりも支配地域からの軍の排除が企図された)。

その後、有効な継承政体がリビアコソボにそれぞれ発足した。

脚注

関連項目

Wikiwand in your browser!

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.

Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.