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東陽郡(とうよう-ぐん)は、中国にかつて存在した郡。三国時代から唐代にかけて、現在の浙江省金華市と衢州市にまたがる地域に設置された。
漢初に東陽郡があったとされ、これは下邳に相当するとされるが、この東陽郡は後述の東陽郡とは地理的範囲が異なる。紀元前201年(高帝6年)、劉賈が荊王に立てられ、もとの東陽郡・故鄣郡・呉郡の53県を封邑とした[1]。
266年(宝鼎元年)、三国の呉により会稽郡西部を分割して、東陽郡が立てられた[2]。東陽郡は揚州に属した。
晋のとき、東陽郡は長山・永康・烏傷・呉寧・太末・信安・豊安・定陽・遂昌の9県を管轄した[3]。
南朝宋のとき、東陽郡は長山・太末・烏傷・永康・信安・呉寧・豊安・定陽・遂昌の9県を管轄した[4]。
南朝斉のとき、東陽郡は長山・太末・烏傷・永康・信安・呉寧・豊安・定陽・遂昌の9県を管轄した[5]。
589年(開皇9年)、隋が南朝陳を滅ぼすと、東陽郡は廃止されて、婺州に編入された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、婺州は東陽郡と改称された。東陽郡は金華・永康・烏傷・信安の4県を管轄した[6]。
621年(武徳4年)、唐が李子通を平定すると、東陽郡は婺州と改められた。742年(天宝元年)、婺州は東陽郡と改称された。758年(乾元元年)、東陽郡は婺州と改称され、東陽郡の呼称は姿を消した[7]。
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