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日本の戦国時代~江戸時代初期の武将。織田家・前田家の家臣。織田家家臣村井長忠の子で、加賀八家村井氏初代当主。従五位下豊後守 ウィキペディアから
村井 長頼(むらい ながより)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、前田家の家臣。本姓は平氏(桓武平氏)。家紋は丸ノ内上羽蝶。通称は又兵衛、長八郎、豊後守。嫡男に村井長次。
天文12年(1543年)に生まれ、はじめは織田氏家臣の前田利久に仕える。
永禄2年(1559年)から永禄4年(1561年)にかけて利久の弟の前田利家が織田家から追放されていた時に長頼も従い、永禄12年(1569年)に織田信長の命により利久に代わって弟の利家が前田家を継ぐと、それに従って利家の家臣となった。
以後、常に戦場でも共にあり幾度もその盾となって救っており、利家からは通称である又左衛門から「又」の字を拝領するほど信頼され、石山本願寺攻め、金ヶ森城攻め、長篠の戦いなどで数多くの軍功をあげる。利家が加賀国に封じられて大名になると家老となり、奥村永福らと共に加賀藩の基礎を築いた。慶長4年(1599年)に利家が死去すると長頼は隠居したが、加賀征伐を行おうとした徳川家康に対して、前田利長が母の芳春院を人質に差し出すと、長頼も芳春院に従って江戸に下った。
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